振り向いて、それを渡そうとしたら、すでに輝はベランダの外に出ていたのだ。しかも、ほぼ、全裸だ。部屋の外にあるジャグジーの浴槽から満天の星空を見られるようになっている。

「きゃー、エッチ!」

 まるで女の子のような台詞を言いながら自分の胸を隠している。どうやら、花梨をからかっているらしい。

 もちろん、彼は全裸ではなくて海水パンツを履いているのだが、それを覗き見しているのは花梨の方なのだ。互いの立場が逆になっている。そんなつもりはないのに目が離せない。腹筋に心を奪われてしまっている。

 やっぱり、みんなが言うように輝は完璧な肉体の持ち主なのだ。日に焼けた肌は健康的で、筋肉の質もしなやかだ。棒立ちになって凝視している自分に気付いた花梨は赤面した。

「あ、あの、本当にそんなつもりじゃなかったの! ご、ごめんなさい」

「いいよ、俺、ぜんぜん平気だよ。へーえ、それ、どんな香り?」

 湯船につかったままの状態で、彼は気持ちよさそうに腕を伸ばしている。

「柑橘系なのか……。昔、うちの入浴剤、レモンばっかりだったなぁ。でも、レモンって、なんか妙にエッチだよなぁ。そう言うとさ、親父たちがヘンな奴だって笑うんだけど……。俺、なんか分かんないけど、レモンスカッシュとか見ただけでドキドキした……。レモンの皮で身体を洗ってもらったことがあるって言うと、親達は、そんなことした事ないって言ってた」

「えっ……?」

 もしかしたら……。過去の記憶の中の香りを彼が覚えているのかもしれない。

 多分、あの瞬間がいちばん幸せだった。海賊のアルブは、バスタブに、いくつもの檸檬を浮かべていた。その香りは幸福な甘美な情事と直結しているのだ。

『レモンの皮で背中を洗ってあげる』

 エレノアはそう言ってアルプの背中に頬を寄せて微笑んでいた。海賊は檸檬の香りの中で何度もエレノアに口付ける。エレノアは全身を強く愛撫されて身体中が恍惚となる。人魚のようにお湯の中で二人は跳ねる。二人は、その後に不幸が訪れることを何も知らない。

 いや、予感はしていたのだ。不幸になる予感があるからこそ何度も抱き合うのだ。

「あのさ、どうしたの? なんか、俺、悪いこと言った?」

 無口になっている花梨に気付いた輝は、水の中からじっと花梨が話すのを待ってくれている。

「時々、すごく悲しそうな顔するよね。遠くを見るみたいな顔をした後で、いつも、そういう心細そうな顔をしていたね」

「あたしも、自分でもよく分からないの」

 このまま輝に抱きついてキスしたい。だけど、そんなことをしたら運命の軸が大きく死へと傾いてしまう。そう思うと不安で胸が苦しくなってしまう。

 あなたとは前世で惹かれあっていた。そう伝えたかった。