(昔は……、この人と裸のままキスしていたんだよね)

 花梨は、じっと輝の唇を見つめる。この人は、案外、口が大きい。歯並びが綺麗だ。輝の唇から目が離せない。かつては、輝が自分の身体にキスしていたのだ。ドレスを脱ぐ瞬間のときめきや、彼の肌の匂いを思い出してしまう。
 
 うわーっ。どうしよう、どうしよう。昼間からどんな想像しているのよ。

「ちょっと、ごめん。あたし、トイレで顔を洗ってくるね。泣いた顔を拭いてくるね!」

 自分の妄想や空想を振り払いたい! 落ち着こう。

 花梨は、女子トイレに入ろうとした時、中から出てきた真っ黒なパーカーを着た男と派手にぶつかった。

 一瞬だけ目が合った。暗い目付きの若者だ。

 相手は謝りもしない。しかも、そいつは男なのに女子トイレの個室から出てきたのだと気付き、ゾワッとしたものが駆け巡る。

(盗撮や覗きをしていたの?)

 すれ違う瞬間、チラッと見た相手の顔は表情というものがなくノッペリしていた。何か暗いものを胸に抱えているように見える。

 高性能の隠しカメラは秋葉原などに売っていると聞いた事もある。花梨は、少し不安な気持ちになってきた。何が仕掛けられているのか分からないので、少し尿意は感じていたけれど、トイレの個室には入らなかった。犬を触ったので手を洗うことにする。

 さすがに、ここで顔を洗う訳にもいかないので、ハンカチで目の周りを少し拭った後、軽く白粉をはたく。ここにいるのは平凡な女子大生。
 
 今は、令和だ。貧富の差や身分の差もない……。
 
 王の生まれ変わりのケイが二人を許しているんだもの。それならば何も起こらずに済むのかもしれない。
 
 女子トイレから出ると、すぐに告げていた。

「輝くん、あたしは先に帰るね。レポートを書かなくちゃいけないんだ」

「ああ、分かった。俺はもう少しマルといるよ」

「あたしも面倒見るよ。何かあれば、あたしに言ってね。餌代とか、あたしも払うね」

「うん。何かあったら言うわ」

 輝は子犬を愛しそうに抱きあげた。純真無垢という言葉がピッタリのマルは、愛らしい顔で花梨の手をペロペロと舐めている。僕、とっても良い子だよ。そうアピールしているかのようだ。

「ああー、帰ろうと思ったけど、マルの顔を見てたら離れられないよーー」

「それなら、もう少しここにいたら?」

 輝にそう言われてコクンと頷く。そうやって、触れ合ってといくうちに花梨はすっかりマルに夢中になっていたのだ。

 しかし、それがいけなかったのかもしれない。後日、残酷な運命を思い知らされるのだ。

 恐ろしい事に子犬のマルは輪廻に関係していたようである。

    ☆