花梨は夢の中にいる。少しずつ記憶が鮮明になっていく。

(いつもそうだわ。彼は、野生動物のように凛としているのよ)

 アルブは黒髪で長身の青年だった。まだ若いが、自分よりも年上の荒くれ者を率いて海賊として近隣の海域を行き交う商船を襲撃している。
 
 その背中の火傷はどうしたの? エレノアがそう尋ねると、彼は隣でねそべったまま答えた。
 
『火事のせいだよ』

 アルブが海賊業に転身した頃、酔っ払った船員のせいで火薬庫が爆発して仲間が死んだ。帆船は、獣脂を多く含んだタールが塗られている。一度、火が付くと一気に燃え上がるのだ。アルブは奇跡的に助かったが背中を負傷した。その体験を踏まえた上で掟を作った。
 
『武器の整備を怠るな。火の不始末で火事を招いた者は死刑。航海中の船内での賭博禁止』

 いざ戦闘に入ると、アルブは誰も予想もしないような奇襲をしかけて金塊や金貨や絹を見事に強奪してしまう。綿密さと大胆さを併せ持っていた。

 商船をかたっぱしから襲うアルブは、お尋ね者だった。海賊を討伐しようとする海軍と派手にやり合ったこともある。そして、エレノアを誘拐したことで、エレノアの一族からも追われることになる。破滅の瞬間が、刻々と近づいていた。 

 エレノアの父親から、一人娘を必ず取り戻すようにと命令された大佐は海賊アルブの隠れ家を必死になって探している。エレノアを無事、連れて来た者には報奨金を与えるというお触れが出されていた。
 
 その島には、密輸業者や売春婦や逃亡軍人や逃亡奴隷などが暮らしている。
 
 売春婦のベスは、元、軍人の酔っ払いの浮浪者に依頼していたのだ。
 
『金に困っているなら、あの貴族の娘を島から連れ出して海軍に引き渡しなよ……』

 エレノアは、いつも、アルブの側にいる。あるいは、いつも、アルブの仲間たちが、エレノアを守っている。けれども、エレノアを船に乗せて大海原に出てしまえば何とかなる。

『あの娘は、マルスを可愛がっているから、マルスをエサにして、あの娘を引き寄せればいいのよ』

 ベスの企みはうまく行くかのように思えた。

 浮浪者は、マルスを捕まえたのだ。そして、エレノアを呼びだそうとしていた。

 小船の中に閉じ込められ、られていたにもかかわらず、マルスは腕の紐を解いて逃げ出した。そして、一直線に駆け出した。隣で居眠りしていた男は、ハッとしてマルスを追いかける。

『待て! このガキ!』

 この子供をここから帰す訳にはいかない。自分のやろうとしていることが海賊アルブに知れたなら、あいつらに袋たたきにされる。男は焦った。走ってマルスに追いついた。しかし、マルスが男の腕に噛み付く。

『いてぇー! 何しやがる!』