「えっ、前世の夢? ないな。俺は、トウモロコシを食べようとして歯が全部抜ける夢と、トイレに入りたいのに、トイレの壁が壊れた夢とかは見るよ。モデルの仕事をやり始めてから、夢の中で何度も歯が抜け落ちている」

 言いながら苦笑している。そして、照れたように目許を細めた。

「そういえば、ゆうべ、ヘンな夢を見たな。俺、欲求不満かも……。なんか、分かんないけど、すげぇ綺麗なお姫さんを誘拐して、そのあとのことは口では言えない。海賊船の撮影って聞いてたせいだな。俺、中世の海賊みたいな恰好していたな」

「詳しく教えて! おねがい!」

 だって、もしかしたら同じ夢かもしれない。花梨は真剣に懇願したけれど輝は困ったように笑う。

「いや、やめとく。思春期の男がみんな見るようなエロイ夢だよ。断片的にしか覚えていないよ。エッチなシーンばっかりだった。ほんと、引かれるとヤバイから説明はやめとく」

「あたしなら平気! だって、あたしは……」

 花梨は心の中で呟いた。

(あたしは覚えている。あれは過去にあったこと。あなたも、それを思い出そうとしているのよ!)

 花梨は現実の出来事として自覚しているのに、輝は夢に過ぎないと思っている。

 いや、しかし、輝は過去の記憶なんて思い出さない方がいいのかもしれない。花梨は、煙る気持ちを切り替えるようにして言った。
 
「ねぇ、撮影、どうだった?」

「ああ、あれから何とかOKもらえたよ。今朝はありがとう。おかげで助かった。遅刻しなくて済んだ」

 輝は、改めて自分の腕時計で時刻を確認している。

「けっこう疲れた。撮影するのに時間がかかった。俺、体力には自信があるけど気疲れしちゃったよ。やっぱり、モデルってさ、素人がやる仕事じゃないと改めて感じたよ。モデルの女性を抱き締めるポーズを何回も撮り続けてさぁ、腕がダルイよ。陸上部の合宿よりキツイよ」

 言いながら右肩をグルンと回している。

「あれ? それ……」

 その時、花梨は気付いた。白い清潔なコットンのシャツの襟元から見えたのだ。鎖骨のあたりに古い傷跡がうっすらと残っている。
 
「ねぇ、その傷、どうしたの?」

「ああ、これ? 子供の頃に犬に噛まれたんだ。上半身の裸の写真を撮った後、いつも、この傷、修正しているんだよ。よく見ないと分からないのによく気付いたね?」

「なぜ、犬に噛まれたの?」

「野良犬だった。何か分からないけど、犬が急に襲って来たんだ。俺は三歳の子供だった。思ったよりも傷が深くて親は驚いていたみたいだよ」

「へーえ、そうなんだ」

 他愛もない会話や他愛も無い沈黙が心地いい。

 夕陽が綺麗。海と空がカフェオレみたいにまろやかに溶け合っている。月の砂漠という古い歌を口ずさみたいような気持ちになる。