長身の青年が小柄な青年のスマホを取り上げている。キリッと引き締まった横顔は迫力があり、今風のイケメンだ。小麦色の肌の二十歳前後の若者が、怒気を孕んだ顔つきで相手を問い詰めている。

「てめえ、スカートの中にスマホを下から煽って撮っていたじゃねぇかよ!」

 みんな、花梨を気の毒そうに見つめている事に気付いた。まさかと思い、ハッとなる。

(えっ、もしかして撮られていたのは、あたしなの?)

 凛とした声の若者と目が合った瞬間、頭の中で時間の粒子がパーっと散らばったかのような不可思議な感覚に陥って眩暈の渦が生まれた。ドクンッ、ドクンッ。心の中がざわめき始めている。

 艶やかな黒い髪。日に焼けた小麦色の肌。キリリとした双眸。鷲の様に鋭角な精悍な鼻筋。見るからに俊敏そうな身体つき。そして、そして……。

『王妃を警護するように言われました……』

 また、あの声が降ってきた。グワングワンと何かが反響している。凄まじい懐かしさに包まれ、全身が総毛立つような感覚が花梨を覆う。嫌な予感に苛まれて震えが止まらなくなる。
 
(こんなこと信じたくない!)

 ドクンッ。一気に鼓動が早打ちし冷や汗が滲む。ここは自分が下りる駅ではないけれども、腰を浮かして移動していた。電車の扉が開くと反射的にホームに飛び出していく。

「待ってくれ! おい、待てよ!」

 長身の青年が花梨を追いかけようとしている。しかし、せっかく捕まえた痴漢を逃したくなかったのか踏みとどまっている。プシューという音によって扉は閉まる。

 こんなの馬鹿げている。どうしよう。卑劣な痴漢よりも、わざわざ自分を救ってくれた二十歳前後の青年と顔を合わせることの方が危険な気がして怖かったのだ。どうかしている。こんなの、どうかしている。自分でも訳が分からない。

(あたしったら、おかしな夢に囚われたりして馬鹿みたい……)

 とりあえず、次の電車が来るまで待つことにしたのだ。

          ☆

 その数日後。花梨は、電車での出来事を忘れかけていた。

「お兄ちゃん、準備できたよ」

「おう、それなら、出発するぞ」
 
 新しい年度に入り、快晴の空は澄んでいる。日差しが眩しかった。今日は、兄の車で大学へと向かうことになっている。兄の大河内聖夜は、大学病院の外科の医師だ。自宅のガレージに停めてある車の助手席に乗り込むと兄が言った。

「花梨、サークル、大変そうだな……。やっとベッドのカバーが完成したんだな」

 袋の中にキルトの完成品が入っている。展示会に間に合わせる為に、かなり無理しており寝不足になっている。兄は体を壊さないかと心配しているらしい。

「ううん。あたしは好きでやってるから平気だよ。お兄ちゃんこそ、夜勤が多くて大変だよね?」