我が子の父親を……。激しく愛した男を、涙ひとつ流すことなく刺し殺す。
 
 そんなことをやってのけるなんて、あの女は本当に悪い女。だから、王も騙されたのだ。そこまでやったなら、誰だって、その女の言葉を信じる。
 
「この子は、あなたの子供です。テリの子供ではありません」

 そう言い捨てて、愛人のテリの腹に短剣を突き刺した時、彼女は全身に返り血を浴びた。それを見た者たちは凄惨な光景に目を逸らした。

 テリは血まみれになって絶命した。

 なんてことを……!
 
 サラサラ、サラッ。その女は、数年後、鏡の前で丹念に豊かな髪を鼈甲の櫛で何度も何度も丁寧に梳いている。その瞳の奥は澱んでいる。何も考えていないかのような虚ろな目をしている。
 
 鏡の中の若い女の顔を見るたびに花梨は叫びそうになる。ゾッとしてしまう。
 
「これは、何かのトリック……?」

 あれから何度も生まれ変わってきた。
 
 顔の骨格が今の自分と違っていても、ちゃんと分かるのだ。愛する彼を死へと追い詰めて、のうのうと生き残った。悪魔のような女は、あたし……。
     
      □
   
「えっ?」
 
 電車のアナウンスの声。ガタンッ。揺れを感じた花梨はハッと身を起こす。
 
「またヘンな夢を見ちゃった……」

 ここは令和の日本。今日は土曜日。大学の手芸サークルの作品を仕上げる為にで通学しているところなのだが、遅くまで苦労して刺繍の作業に励み続けたせいなのか、肩と首筋が軋むように強張っている。

 イーリス! イーリス、おいらは、ここだよ!

 なぜだろう。目を覚ましてからも奇妙な声が頭の中にこびりついている。石造りのお城の光景の残像に意識tが引っ張られている。現実と夢の境界線が曖昧なまま頭全体に霞が立ちこめている。

『大好きだからこそ出会ってはいけない……』

  そうよ。分かってる。でも、無理なの。愛さずにはいられなかったの……。心の中で誰かがそう呟いている。

 眠い。油断していると気絶してしまいそうになる。ああ、だるいと俯いている。
 
 と、その時、いきなり、若い男の怒号が響いた。
 
「この野郎!」

 顔を上げると、長身の若者の逞しい背中が目に入った。その若者は、眼鏡をかけた小柄な青年の胸ぐらを強引に掴んでいる。どうしたというのだろう。かなり殺気立っているようだが、二人は何を言い争っているのだろう。
 
「てめぇ、先刻、そこにいる綺麗な子の下着を盗み撮りしただろう!」

 小柄な眼鏡をかけたオタクっぽい青年が真っ青になって怯えながら震えあがっている。

「ご、誤解だ! ぼ、僕は東大生なんだぞ。と、盗撮なんてする訳がないじゃないか……」