ラクダが飲む水の量は凄まじい。家畜の為に水汲みを続けるイーリスの巻き毛がグシャグシャになっている。テリは小まめにイーリスを手伝った。風に揺れる砂漠の赤い花を手折ってイーリスの髪に飾ってやると彼女は無邪気に微笑んだ。

「この花、キレイね。なんていうの。あたしの国にはないわ」

短い雨季の直後、この地方に咲く花。名前など知らない。テリは咄嗟に呟いた。

「イーリス、そう呼ぼうよ! この花はイーリスだよ。だって、この花は本当にキレイだもん」

 言いながら、暑い砂に焼けて赤く腫れた足を揉んでやった。出来る限り、イーリスには働かせたくなかった。ある日の深夜、ライラがヒステリックな声でお頭に言った。
 
 今年は、売るはずだったラクダが生まれてすぐに死んでしまっている。それに、他のラクダも足を怪我している。ハレムのある街まで移動するのが難しくなってきた。とはいうものの、同じ場所にずっといるのは危険だ。
 
「金髪の小娘を娼館に売ればいい。町はすぐそこだ。さっさと売っちまいな!」

 お頭は、王様の後宮に売るつもりだった。あそこは、高貴な女に相応しい場所だ。場末の娼館など、言語同断だ。

 イーリスの侍女のミアはお頭の隣で目を見開いて訴えた。

「お嬢様に何てことを! この人でなし! あなたが娼館に行けばよろしいのよ。あなたこそ、もう用などないではありませんか? 無駄飯食いはあなたなのよ!」

 侍女が勝ち誇ったように立ち去った後、ライラを意地悪く横目でイーリスの背中を見つめた。最近、獲物がみつからない。もうすぐ過酷な季節がやってくる。天幕や家財道具を運ぶラクダなしでは長い距離を移動できない。
 
 お頭は、イーリスを途中の街で売り渡す決意をしていた。最後の夜、複雑な気持ちでイーリスの寝顔を見つめていると眠っているはずのイーリスが目を開けた。
 
 夢と現実の狭間にいるような顔つきだった。瞼の底に夢の残像が沈殿しているかのようだ。こういう時のイーリスはひどく哀しそうに見える。
 
「人魚の姫様の夢を見たの。帰りたいって泣いていた。時々、声が風に乗って聞こえるわ」

 違う。あれは夜の砂漠に吹く風の音だ。でも、誰かの悲鳴のようにも聞える。
 
「人魚の魂を海に還してあげなくちゃ可哀相だわ。テリ、海はここから遠いの?」

「おいらは海を知らない。でも、いつか必ず見に行きたいな」

 あんたと二人で……。そう言いかけて、テリは唇を噛み締める。この時、テリの中で突き上がるような衝動が湧いた。このままだと、イーリスは売られてしまう。娼婦の暮らしが、どんなものなのかテリにも分かっている。

「行こう! イーリス!」