姫の婚約者だった王子は善人だった。自分に少しも似ていない息子にも優しく接してくれた。知的な彼は、海賊と彼女の間で何があったかを薄々気付いているけれども分からないフリをしている。
 
 姫君を庇う王子も切ない。誰も悪くない。周囲の観客たちはその悲恋の世界に身を寄せてすすり泣いていた。
 
 自分は、あの二人のことを誰よりもよく知っている。そこに関わった人たちの苦悩も知っている。人間は愚かだ。同じ過ちを繰り返す。だけど、ちゃんと生きる直す力も持っているのだと、今らなら分かる。
 
      ☆

 セミの声が刹那的に響いていた。長かった夏休みが残り僅かなものになっている。

 花梨は鏡の前で髪を整え終えていた。今日の花梨はポニーテールにしている。

 白とモスグリーのストライプのワンピースに籠バックという服装で軽やかな足取りで病室に向かっていた。総合病院の一階にあるコンビニへと向かう兄と、、勤務中の兄が話しかけてきた。

 兄の手にはコーヒーのペットボトルが握られている。

「花梨、あいつの見舞いに来たのか?」
  
 兄は、もう、二人の付き合いを反対していない。

 入院中の輝は、看護婦さんや同じ病室の老人に人気があったからだ。ずっと見ていたなら、輝の人柄は自然と伝わってくる。それに、元々は、花梨を痴漢から守ったせいで刺されてしまったのである。

「あいつ、本当はまだ無理しちゃいけないんだからな。寄り道をせずに帰れよ」 

「うん、輝くんのお家の人に挨拶したらすぐに戻る」   

 花梨と輝のことを、みんなはカップルだと認識してくれている。

(長い間、意識不明だったわ……。彼は、死んでもおかしくない乗田だった。頑張って踏みとどまってくれて良かった)

 意識を取り戻した後、花梨は自分から好きだと打ち明けている。その時、彼は言った。

『なぁ、花梨。一目惚れって信じる? ほんの数秒のことなのに、すべての時が止まったように感じるんだ……。花梨を見た時、時間が結晶したみたいにキラキラしていたんだ』

 その言葉を誰よりも深く噛み締めながら病室へと向かうと、やはり、輝は元気そうだった。花梨の姿を見つけて子供みたいに屈託なく笑って手を振っている。少し肌は白くなっている。
 
「花梨、遅かったな。おおっ、やったー、俺の大好きなシューアイスだな」

 彼は、最近、ちょっと太り始めている。といっても、入院直後は痩せ続けていたのだから、これぐらいがちょうどいい。入院生活に飽き飽きしているので見舞いに行くと輝のテンションが一気に上がる。髪が前よりも長くなり、更に大人っぽくなっている。
 
 そして、それから一週間が経過していた。いよいよ退院の日が訪れたのだ。
 
「よし! 明日から俺の青春が始まるぜ! やっと海に行けるぜ!」