「おばぁちゃま……」

 キバの必死な声が胸に刺さった。花梨の心に、あるひとつの感情が光のように差し込んでいた。

(そうだわ。テリは後悔なんてしていなかったのね……)

 輝の魂を汚すような事をしてはいけない。愛することを諦めてはいけない。

 今まで逃げることばかり考えてきたが、もうやめよう。怖くても真正面から向き合わなければいけない。
 
 だから、花梨は毅然とした表情でマリアの手を握った。冷たい手。しかし、マリアの手は徐々に温かみを増していく。花梨に手を握られたマリアは、最初、ビクッとしたように顎を上げた。けれども、花梨の体温に触れることがなぜか心地良かった。
 
 長い歳月をかけて憎み続けてきた女の手なのに、その手によってマリアは慰められている。

「マリアさん、目の前の現実を見ましょう。早く手術室に戻らなくちゃいけません。でも、その前にギバさんを連れて帰らないと」

「……ええ、そうね」

 マリアは、気恥ずかしそうに目を逸らしてから小さく頷いていく。

「仕方がないから、あたしも、その老いぼればぁさんを運ぶのを手伝うわよ。こんなクソばばぁだけど、昔、あたしは世話になったことがありそうね」

「覚えてないのかい! ベス! あんたの頭痛を癒す薬を煎じたのはあたしだよ! その恩を忘れるなんて頭の悪い子だよ!」

 そして、二人は共に輝が横たわっている手術室へと向かっていく。この先のことは分からない。今はこんな場所で争っている場合ではない。そんな二人に更なる事件が覆い被さってきた。

 花梨とマリアがギバを病室に連れて帰った後、花梨の兄が慌しげに呟いたのだ。

「花梨! 大変だ! ケイの容態が急変したぞ!」

「なんですって、ケイが!」

 マリアは持っていたポーチを、思わず床に落としていた。

「マリアさん! しっかりしてください! 一緒に行きましょう」

 そして、花梨は、崩れ落ちそうなマリアの身体を支えて励ますように囁いた。

「あっ、オレも行くよ」

 花梨の兄がマリアの横顔をじっと見詰めてから、男らしく優しい口調で呟いた。

「マリアさん、あなたの弟さんが、あなたが来るのを待っていますよ。あなたのことをとても心配しています。ずっと、あなたの名前を呼んでいました。姉さんに対して、申し訳ないと言っていました」

「弟が、あたしを?」

 死にそうな状態なのに、姉に対して何を謝るというのだろう? あの子には何の落ち度もない。あの子が言うように、悲劇を引き出すのは、この、愚かなあたしなのに……。

「あの子ったら……」

 マリアは、これまで見せたことがないような無防備な表情を浮かべている。不安そうでありながら慈悲深い横顔だった。

 花梨と兄はマリアを支えながらケイのもとへと向かっていく。しかし、そこに輝のマネージャーがやって来た。