マリアも花梨も息を止めるようにしてギバの答えを待っていた。ギバが、喘ぐような声でゆっくりと告げている。

「それはね、真っ直ぐに死んでいったからさ。あの子は何一つ後悔なんてしていないんだよ。あの子は、どんな時も幸せだった……。イーリス、いいかい? テリは幸せだったからこそ何も悔やむことなどないのさ」

「おばぁちゃま……」

 その時、花梨は、砂漠の人魚の話の一説を思い出していた。人魚から宝石を奪い人魚の肉を食べたサーラーは醜い姿で生きながらえることになる。

(おばぁちゃまは、醜い姿のまま何百年も生きながらえたサーラ姫の物語を聞かせてくれたわね)

 サーラーは不老不死となり各地を放浪する。どう頑張っても死ねないのだ。そして、行く先々で、多様な人間模様を目にすることになる。

(千夜一夜物語のように、次から次へと不思議な物語は続いていたのよ)

 そうやって生きたまま、サーラーは否応なしに孤独と罪の意識に向き合うのだ。

『ああ、神様、どうか、あたしを解放してください』

 何百年もの間、死ぬことが許されなかったサーラー。人魚の肉を食べた罪を背負ったまま、長い歳月、ずっと苦しみ続けてきたけれども、そんな彼女にもやっと死ねる瞬間が訪れる。

『サーラーは、もう二度と生き返りませんでした』

 これは遠い昔に聞いた物語のおしまいの言葉。

「ここにいる私達は、過去を振り返って後悔している。不幸だと感じている証拠なのさ。夢中で生きて、これ以の喜びはないと幸せを感じている人間は、記憶の牢獄に囚われる事などないんだよ」

「牢獄……」

 記憶もひとつの牢獄? もしかしたら、そうなのかもしれない。

 花梨は、ギバを抱きとめたまま、長い年月のうねりの熱量を感じ取っていた。

(いろんなことがあったけれど、テリ、あなたは、いつの世も彼はまっすぐに生きたんだね……)

 そうだ。彼は、キバが言うようにテリだけは後悔などしていないのかもしれない。

「運命を変える方法なんて、わたしにも分からない。だが、これだけは言える。イーリス、テリよりも先に死のうなんて考えるんじゃない。そんなことをしたらテリの魂までもが彷徨う事になるんだよ!」

 テリは充分に幸せだった。イーリスを愛したことを後悔していない……。

「イーリスがテリのために死んだら、どうなると思うんだい。自分のせいでイーリスを死なせたとテリが絶望することになるんだよ。そうして、今度はテリが記憶の牢獄の中で這いずりまわることになる! そんなことを絶対にさせてはいけないよ!」

「……」

「イーリス、あんたは何があろうともテリを愛することを諦めちゃいけないよ! そうでなきゃ、あの子は何のために生まれてきたのか分からないじゃないか!」

 ギバはそう言って、ハァハァと大きく深呼吸しながらも、ひとりで立ち上がった。