夏の風がジャスミンの香りを運んでくる。互いに顔を寄せ合う男女のシルエットが完全に重なる。
 
 そう、二人は運命の恋人なのだ。イーリスの瞳にはテリがいて、テリの瞳にはイーリスが棲みついている。
 
 テリ! テリ! あたしが愛した人はあなただけ……。
 
 頭の中で何かが押し上げている。錆び付いていた記憶の扉が開こうとしている。運命の渦に引きずりこまれそうになっている。ひどく怯えながらもハッと我に返る。
 
(あたしはイーリスではないわ……。花梨なのよ)
 
 そうだ。冷静になろう。ここは令和の日本。眼の前にいるのは年下の高校生だと言い聞かせる。
 
「ごめんなさい。あたし、先に行くね!」

 急に、ポンと、そこに取り残された輝は寂しそうな顔で花梨を見送っているが、無理に追いかけようとはしなかった。
 
 花梨は石畳の舗道を右折して、駅の南口に入った。軽快な足取りでホームへと続く階段を上がりながらも、どこかしら後ろめたい気持ちになっていた。テリと輝。言葉の響きが似ている。輝はテリと同じ魂を持っているような気がする。
 
『イーリス、知ってるかい? ラクダって頭がいいんたぜ。自分を苛めた人間のことは、ずっと覚えているんだぜ』

 不意に、幼い男の子の声が心に響いた。真っ直ぐな眼差しを思い出して胸を痛くなる。
 
(何なの……。どういうこと?)

 運命が背筋にヒタヒタと迫り張り付いているように感じてしまう。しかし、それを否定したくて、花梨は、もどかしげに顔を振る。そして、ハラハラとゆらめく気持ちがこぼれ出さないように胸を押さえる。
 
(あたしの中で何が起きているのよ?)
 
 その夜、花梨は不思議な夢を見ることになる。