「王妃。今夜、この国から逃げましょう。国境はすぐそこです。今すぐ俺と一緒に」

「無理よ」

 王妃の喉から甘い溜息が漏れている。王妃の名前はイーリス。武官のテリは王妃の護衛官として側にいる。そう、いつも彼女を守っている。

 ハシバミ色の瞳のテリは、細身だが鍛えられており、凛々しい顔をしている。そんな彼が、金色の巻き毛に彩られたイーリスの頬に指先を添えながら切なげに囁いている。

「砂漠の果てに行けばいい……」

「行ってどうするの? きっと、わたしたち、すぐに掴まるわ。昔、あなたの仲間だって、わたしの父によって皆殺しになったのよ。もう忘れたの? わたしは疫病神なのよ」

「いえ、お頭や仲間を死なせたのは俺です」

 自分のせいでみんなが殺された。イーリスを好きになりさえしなければ彼等はあんな形で死なずに済んだ。テリは唇を噛み締めている。どこか遠いところを見つめるような眼差しになっている。

(……忘れるわけがないさ)

 でも、イーリスを助けた事は何も後悔していない。

 イーリスが彼の日焼けし首筋に皮膚に赤い痣をつけている。テリは知っている。こんな関係がいつまでも続く訳がない。子供の頃のように無邪気に手をつないで眠る関係ではなくなっている。自分達の恋は許されない。それでも、テリは気持ちをぶちまけずにはいられない。
 
「貴女を愛しています」

「もっと言って……」

 テリがイーリスを優しく地面に押し倒した。木漏れ日が降り注ぐ森には誰もいない。
 
 王妃は、髪飾りが地面に落ちていることにさえも気付かぬまま、キスの余韻を楽しむかのように目を閉じている。そして、スッと視線を上げてから怖いことを口にした。

「妊娠しているの。あなたの子供を生むわ。そして、その子を王の子供だと偽るの。何も知らないで育てるのよ。一生、この秘密を抱えて生きるわ」
 
 秘密の関係だった。いつバレてもおかしくない。こうやって会えるのは王宮の外に限られている。
 
 けれど、やがて、人々に見抜かれてしまうことになる。それは、イーリスが男子を産んだ直後だった。
 
『王妃は王を裏切っております』

 王の従姉のアランスが王妃の生んだ子は王の子供ではないと大勢に向けて告げ口した。テリの小姓は、アランスに脅されて不貞の証言をするように強要された。
 
 しかし、小姓は口を割らなかった。
 
「僕は何も知りません!」

 そのせいで、アランスの息のかった部下によって折檻されて息絶えてしまう。
 
 王宮殿では、イーリスとテリの関係を怪しむ者が他にもいた。赤ん坊の髪と目の色はテリの子である事を示している。イーリスは追い詰められていた。
 
「そんなにお疑いになるならば、あなたへの愛の証に、わたくしは、あの男の命を絶ってみせます。それならば信じてくださいますか?」