この人が、と顔を見つめる。
「あの……もしかして、私と会ったことがありますか?」
禄輪さんは少し驚いた顔をした。
「覚えてくれてたのか? 最後に会ったのは巫寿が3歳の時だったから、すっかり忘れていると思っていたんだが」
「あ、あの……ごめんなさい。ちゃんとは覚えていなくて、何となく、そんな気がして」
申し訳ない気持ちで正直に伝えると、禄輪さんは気にする様子もなく「そうかそうか」と破顔した。
「聞きたいことが山ほどあるだろう。でもその前に朝拝を済ませよう。無断でこの屋敷を借りるわけにもいかないからな。巫寿もそこに座りなさい」
言われるまま、禄輪さんの斜め後ろに腰を下ろす。
本殿の床は氷のように冷たくて背筋がすっと伸びる。
禄輪さんが神殿のロウソクに火を灯し、姿勢を正してその前に座る。
深く頭を下げて手をパン!と打った瞬間、その場の空気がガラリと変わった気がした。
「高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて────」
鼓膜を震わす心地よい声色。固くなっていた体を解すように、空気に溶けて優しく包み込む。
目を閉じてその声に聞き入った。