言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー


病院の食堂でお昼を食べて、また席を外していた禄輪さんが戻ってきた。


「すまん巫寿、所用ができた。今から人に会うことになってしまったんだが、ゆいもりの社で待っていてもらえるか?」


泣きじゃくって浮腫んだ私の顔を心配そうに禄輪さんが覗き込む。

すん、と鼻をすすって「分かりました」と答える。



「申し訳ない。神主には伝えてある。車が出るのは20時だから、19時には戻るようにする」


そして禄輪さんとは病院の玄関でわかれた。

どうしよっかな、と空を見上げる。


まだお昼すぎ、禄輪さんが戻るのは19時だから随分と時間がある。

神社で待たせてもらうのも、この顔じゃ気が引ける。


家、帰ってみようかな。玉じいにも、事情をちゃんと話せずに家を出てしまったからきっと心配してるに違いない。

会って、元気にしていることを伝えたい。

この顔だと、余計に心配をかけそうだけれど。



家に帰ることに決めて、最寄り駅に向かって歩き出した。



連休の最終日だけあって、駅の近くにあるショッピングセンターの入口はどこも人で溢れていた。

人にぶつからないように身を小さくして歩く。


信号待ちの人だかりに並んで小さくため息を吐いた。

その時、


「椎名巫寿さん」


突然自分の名前を呼ばれて、俯いていた顔をぱっと上げる。


「はじめまして、椎名巫寿さん」


その声は自分の真隣から聞こえ、弾けるように振り向く。

背の高い男の人だった。見上げるように顔を上げるとひとつの目と目が合う。ひとつしか目が合わなかったのは、その人が黒い眼帯で片目を隠していたからだ。

肩にかかるくらいの長い黒髪、長いまつ毛に縁取られた伏せ目がちな垂れ目、薄い唇。

とても整った顔立ちの人だった。


不思議なことにどこかで会ったことがあるような印象を受けた。

こんなにも整った顔立ちの人なら、絶対に忘れるはずがないのに。


「あの……ごめんなさい、お兄ちゃんのお知り合いですか?」

「はは、違う違う。俺たちは初対面だ。俺が一方的に巫寿ちゃんのことを知って居るだけ」



え、と身を引いた。

知り合いでもないのに、何故一方的に私のことを知っているの?


不審さが募って一歩後ずさる。


「そんなに警戒しないで。俺も神職だから」

「……あ、神職さまだったんですね。ごめんなさい」


相手が神職であることが分かって一気に警戒心が緩む。

ということは、禄輪さんか薫先生の知り合いなんだろう。


「神修に入学したんだってね。おめでとう」

「ありがとう、ございます……?」


見知らぬ人に入学祝いを言われるのは変な感じがしたけれど、とりあえず礼を言う。


「学校は楽しい?」

「えっと……はい。楽しいです」

「そうかそうか」


目を細めてうんうんと頷いたその人。

やはり変な感じがして、怪訝な顔で彼をみあげる。


「なるほど。うん、確かにそうだ」

「え?」



細い目が私を見下ろす。その人は笑っているはずなのに何故か背筋がゾッとした。

その奥の瞳が見えない。


次の瞬間、青信号を知らせる電子音が鳴り響いて、一気に人の塊が動き出す。

強く背中を押されて、よろけて数歩前に出る。


人の流れに押されて、そのまま流されるように前に進む。


「あ、えっ、あの……!」




信号機の下に経つその人に慌てて声をかける。

彼は何も言わずに微笑みながら小さく手を挙げた。


「ええ……っ」


押されるままに反対側の歩道へついた。慌てて振り返るも人の流れでよく見えない。やがて信号が点滅を始めて、引き返そうかと一歩踏み出したその時。



「また会おう」



耳元でそんな声がして、信号は赤にかわった。






流鏑馬(やぶさめ)

天下泰平、五穀豊穣、万民息災、病気平癒。





朝の社頭は一日の中で一番心地よい。

空気がまるっと洗われたようなそんな清々しい風が吹き、雲間から差す太陽はことさらに柔らかい。

そんな気持ちの良い朝の社頭に、小鳥の断末魔のような笛の音色が響いた。


「もういい加減にしてよ、ふたりとも!」

「だってさー……」


こめかみを抑えながらそう声を上げたのは来光くんだった。

へにょりと眉を下げて泣き顔を作るのは、いつもの如く慶賀くんに泰紀くんのふたり。



「朝っぱらから小鳥の断末魔みたいな音色聞かされて、迷惑なんだけどッ」

「そんな言い方ねえだろ!せめて猫がしっぽ踏まれた時の声って言えよ!」

「そうだぞ来光、小鳥の断末魔は失礼だ!」

「どっちも似たようなもんだろ!」


そんなやり取りに思わず吹き出す。

疲れたようにため息を吐いた嘉正くんはやれやれと肩を竦めた。



「三人ともうるさい。慶賀と泰紀はせめて教室で練習しなよ。他の学生が雀踏んだんじゃないかって慌てて靴の裏みてるから」

「もう間に合わねぇよ〜……」



ゴールデンウィークが開けて5月の二週目に差し掛かった今日は、連休明け早々に男の子たちは「雅楽」の授業で龍笛のテストがあるらしい。



全く練習をしていなかったふたりは、早朝から龍笛の練習を始め皆が小鳥の断末魔のような音色に叩き起された。

寮監の神職さまにこっぴどく叱られたはずなのに、懲りずに通学中もこうして練習し続ける。


確かに周りを見てみれば、皆が慌てた様子でたたらを踏んで靴の裏を見ている。


「いいよなぁ嘉正は。生まれつきなんでもそつなくこなせて」

「そうだそうだ! 宜家に生まれただけでも勝ち組なのに、勉強も出来て面倒見もよくて、優男でしかも顔も悪くないしさ〜」

「べつにそんなんじゃないよ」


曖昧に笑った嘉正くん。

隣を歩いていた来光くんにコソッと話しかける。



「嘉正くんのお家って、そんなに凄い家柄なの?」

「うん、超名門だよ。この界隈でも名門って言われる家系はいくつかあるけど、その中でも宜家はとりわけね」


へえ、と目を丸くして先を歩く嘉正くんの背中を見る。


同い年にしては大人っぽく落ち着いていて、面倒みも良くて優秀な嘉正くん。

やはりそれなりの理由があったんだ。


「あ」


来光くんがそう呟いて「あれ見て」と先を指さす。

寮から社頭へ続く石階段の下から、鬼の形相をしたまねきの巫女さまがかけ登ってくるのが見えた。




不名誉にも「騒音妨害」と叱られたふたりは、流石に反省したようで珍しく真面目に清掃をして、大人しく朝拝に参加していた。


「巫寿さん、ちょっといいかしら」

富宇(ふう)先生?」


朝拝が終わって、本殿から出ていく人の列に並んでいると富宇先生に呼び止められた。


「おはようございます。どうしたんですか?」

「ちょっとお話があって」


わかりました、とひとつ頷き待ってくれていた皆には断りを入れる。

列から抜け出して、富宇先生に歩み寄った。


こっち、と連れてこられた本殿の隅には先客がふたりいた。

一人は男の人で、もう一人は女の人。リボンの色からひとつ年上の2年生なのだとわかった。



「お互いにはじめましてよね。この二人は、二年生の(さかき)聖仁(せいじん)さんと、夏目(なつめ)瑞祥(ずいしょう)さん」


初めまして、と手を差し出した聖仁さん。

癖のある茶髪をかき分けた髪型が良く似合い、彫りの深い顔立ちをしていて、柔らかく人懐っこい雰囲気が印象的だった。


「あ、あの。初めまして、一年の椎名巫寿です」


どぎまぎしながらその手を握り返すと、今度は横から瑞祥さんにぐりぐりと頭を撫でられた。


「よろしくな、巫寿。二年の夏目瑞祥だ!」



長い髪を高い位置で結い上げて、キリッとした目が凛々しくて格好いいその人は、夏目瑞祥さんと言うらしい。

にかっと笑う笑い方が凄く素敵な人だ。



初めて会ったばかりだけれど、二人の雰囲気から直ぐに緊張はとけた。





「さあさあ、挨拶もそこそこにして。もう二人には説明したけれど、改めてお話するわね。集まってもらった三人には、今度の開門祭で神話舞に出てもらいたいの」


うふ、と悪戯が成功したかのように可愛らしく笑った富宇先生。

神話舞、というのが何かわからず首を傾げる。



「開門祭で、御祭神さまである須賀真八司尊(すがざねやつかのみこと)にまつわる神話を舞にして奉納するんだよ」


すかさず聖仁さんがそう説明してくれた。


「メインの役どころを演じるのはまねきの神職さまたちなんだけれど、端役はいつも学生にお願いしていてね。今年は萬知鳴徳尊(ばんちめいとくのみこと)役を聖仁さんにお願いしたくて」



萬知鳴徳尊(ばんちめいとくのみこと)と言うと、まねきの社で御祭しているもう一人の神様だ。

本殿のそばに祠があって、たしか神話では、御祭神さまである須賀真八司尊《すがざねやつかのみこと》の世話役としてお仕えしている美しい少年の姿をした神様だ。


確かに容姿端麗な聖仁さんにはピッタリの役どころだと思う。

あれ、でも聖仁さんは男の人なのに舞を踊るの?


「富宇先生、聖仁さんも舞を踊るんですか?」

「ええ。舞は巫女だけじゃなくて神主も踊るのよ〜。神主が舞うのは大和舞《やまとまい》、男の子は選択授業で選べるの」

「僕の家が仕えるお社は大和舞を奉納する神事があるからね」


なるほど、そんな神事もあるんだ。

みたこともない大和舞だけれど、巫女舞とは違ってまた素敵なんだろうな。