目を見開いた。

それは確かに私に触れているはずなのに、それに触れることができない。


靄はゆっくりと形を変えて私を飲み込もうと包み込む。

涙が滲む。声も出ない。思うように体も動かず、辛うじて開いた口で空気を取り込もうとしたその瞬間、体の中に言い表しようのない何かが入り込んだ。

空気のようなそれは身体中に不快感を撒き散らしながら駆け回り、中心から蝕むように侵食していく。

まるでザッピングのように様々な思念が頭の中に流れてきた。誰かの怒り、悲しみ、苦しみ、憎悪。身体中を焼き尽くすような激しい憤怒が身を貫く。

流れ込んでくる誰かの感情に、堪えきれずにぼろぼろと涙がこぼれた。声にならない声を上げる。

苦しい、怖い。
もう嫌だ、助けて。助けてお兄ちゃんっ……!

その時、



「私の娘に、手を出すな」



ベランダの柵の上に人影を見た。

今の時代テレビでしか見ないような笠を目深く被り、着古した着物姿の男だ。

父親が存命なら、これくらいの年齢だろうか。彫りの深い顔立ちで、肩より少し上くらいまで伸びた波打つ長髪、優しげな垂れ目のその奥には鋭い眼光を放つ瞳がある。

あごひげに隠れた薄い唇がすっと弧を描いた。