『カエッタヨ』


抑えていた手の力が僅かに弱まる。


「お兄────ッ」


はっと我に返った。

違う、お兄ちゃんじゃない。だってお兄ちゃんは、病院で今も眠っているはずだ。

だとしたらあの声は、誰?


『ミツケタ』


暗闇の中で何かが動いているのが見えた。

気がついた時にはもう鼻先まで伸びていて、ソレは私の首に巻き付きリビングへ引きずり込んだ。


「きゃあっ……う、っあ!」


激しく床に体を打ち付けられ呻き声をあげる。身体中が痛い。何かが私の首を締め上げる。息ができない。

歯を食いしばってなんとか片目を開けそれを見た。

割れた窓ガラスの上にそれはいた。

禍々しい色の靄だった。それは形が定まっているわけでもなく、深い闇の底から掬い上げたものがひとつの場所に集まって姿を成しているようだった。

顔がどこにあるのかも分からない。輪郭も鼻も口もない。

ぽっかりと空いた穴が目の場所に2つあるだけでそれはただの靄だった。

それなのに、それは私を殺そうとしていた。


いや、食べようとしていた。本能がそう悟った。




死が脳裏を過ぎったその瞬間、お腹の底から少しだけ力が湧いた。硬直していた身体が少しだけ動いた。

首を絞めるそれを掴もうと渾身の力で手を振り上げるも、その手は虚しく宙を切る。