天明は、自分の宮で長椅子に寝そべって書を読んでいた。
読んでいたといっても、頭にはいるわけでもなく、ぼんやりと目が字を追っているだけだ。
今夜は、皇帝の婚礼が大々的に行われている。晴明と、その皇后となった睡蓮が、今頃たくさんの人々に囲まれて祝福されているに違いない。祝福する人々の中には、正式に貴妃となった紅華も含まれている。
けれど天明が宮中の儀式に出ることは決してない。こうしていつも通りに黒曜宮でおとなしくしているだけだ。
夜もふけてきて眠らなければならないとは思うのだが、眠気はいっこうに訪れてはくれない。
天明はむくりと起き上ると、扉をあけて中庭へと出る。満月に近い月が、明るく草木を照らしていた。さく、と足元で草を踏む音だけが耳に響く。
今までもこんなことは当たり前だったのに、今夜の晴明はひどく珍しい感情に囚われていた。
(寂しい)
絶対口にはしないけれど、そんな感情が自分の中に戻ってきたことが天明には驚きだった。そんな風に思うのは、どれくらいぶりだろう。
自分は一人が当たり前で、今までもこれからもそうやって孤独に生きて死ぬものだと決めていた。なのに今の天明の心の中には、ぽっかりと黒い穴があいていることを認めざるを得ない。
原因はわかっている。
紅華だ。
紅華が後宮へと来るまでは、晴明を守ることだけが自分の存在意義だと思っていた。けれど、紅華に出会って、自分を認められて、お互いに愛し合うようになって。
一人が淋しいなんて感情は、あの日にとうに無くしたものだと思っていたのに。
「こ……」
無意識のうちにつぶやきかけて、天明は我に返った。
(情けね)
そんな自分を笑った時だった。
きい、と微かな音がして、反射的に天明は振り返る。そして目を瞠った。
牡丹の庭からの扉が開いている。そこにいたのは、華やかな衣装を着た紅華だった。
「あ、天明様!」
向こうも天明に気づいて、満面の笑顔をその顔に浮かべた。
「よかったあ。もうお休みになってしまったかもしれないと、ひやひやしながらここまで来たんですよ」
天明には、駆け寄ってくる紅華の周りだけが、まるで昼になったかのように明るく見えた。その笑顔を見ただけで、自分の中の寂寥が霧散するのがはっきりとわかる。
(重傷だな)
天明は、微苦笑した。
「お前、婚礼の儀に出てたんじゃないのか?」
きらびやかな衣をひらめかせて、紅華は天明の前に立った。
「もちろん出てましたよ。ちゃんとお二人にはお祝いの言葉を述べてまいりました」
「で、なんでここに? それに、その服……」
紅華は、くるりと回って見せた。
「どうです? 素敵でしょう?」
紅華が着ていたのは、金糸銀糸の刺繍を施した緋色の衣だった。後宮に来る際に紅華が着てきたそれは、本来なら、今夜は睡蓮だけに着ることが許される花嫁の衣装だ。貴妃といえど、紅華がこれをきて婚礼の席に出ることはできない。
「いや、そういうことではなく……」
「だって、私は『皇帝陛下』の妻ですよ? 今夜は皇帝の婚礼ですもの。私の衣装は、これでいいんです」
それを聞いて天明は、は、とした。
「……似合いませんか?」
反応の鈍い天明に、紅華は不満そうに口をとがらせる。拗ねてしまったその表情を見て、天明は、柔らかい笑みを浮かべる。
「似合っている。素晴らしく綺麗だ」
「そうでしょう? こんなに綺麗な服は……」
「違う」
天明に言葉を遮られて、紅華がいぶかし気に天明に視線を向けた。
「綺麗なのは、お前だよ。陽可国一美しい花嫁だ」
そう言って笑った天明に、紅華が、か、と頬を染めた。天明は紅華の手をとる。
「わざわざ俺のために着替えてきてくれたのか」
紅華は赤い顔をしたまま、こくりと頷いた。
これは、紅華がたった一人のためだけに着る花嫁衣装だ。
読んでいたといっても、頭にはいるわけでもなく、ぼんやりと目が字を追っているだけだ。
今夜は、皇帝の婚礼が大々的に行われている。晴明と、その皇后となった睡蓮が、今頃たくさんの人々に囲まれて祝福されているに違いない。祝福する人々の中には、正式に貴妃となった紅華も含まれている。
けれど天明が宮中の儀式に出ることは決してない。こうしていつも通りに黒曜宮でおとなしくしているだけだ。
夜もふけてきて眠らなければならないとは思うのだが、眠気はいっこうに訪れてはくれない。
天明はむくりと起き上ると、扉をあけて中庭へと出る。満月に近い月が、明るく草木を照らしていた。さく、と足元で草を踏む音だけが耳に響く。
今までもこんなことは当たり前だったのに、今夜の晴明はひどく珍しい感情に囚われていた。
(寂しい)
絶対口にはしないけれど、そんな感情が自分の中に戻ってきたことが天明には驚きだった。そんな風に思うのは、どれくらいぶりだろう。
自分は一人が当たり前で、今までもこれからもそうやって孤独に生きて死ぬものだと決めていた。なのに今の天明の心の中には、ぽっかりと黒い穴があいていることを認めざるを得ない。
原因はわかっている。
紅華だ。
紅華が後宮へと来るまでは、晴明を守ることだけが自分の存在意義だと思っていた。けれど、紅華に出会って、自分を認められて、お互いに愛し合うようになって。
一人が淋しいなんて感情は、あの日にとうに無くしたものだと思っていたのに。
「こ……」
無意識のうちにつぶやきかけて、天明は我に返った。
(情けね)
そんな自分を笑った時だった。
きい、と微かな音がして、反射的に天明は振り返る。そして目を瞠った。
牡丹の庭からの扉が開いている。そこにいたのは、華やかな衣装を着た紅華だった。
「あ、天明様!」
向こうも天明に気づいて、満面の笑顔をその顔に浮かべた。
「よかったあ。もうお休みになってしまったかもしれないと、ひやひやしながらここまで来たんですよ」
天明には、駆け寄ってくる紅華の周りだけが、まるで昼になったかのように明るく見えた。その笑顔を見ただけで、自分の中の寂寥が霧散するのがはっきりとわかる。
(重傷だな)
天明は、微苦笑した。
「お前、婚礼の儀に出てたんじゃないのか?」
きらびやかな衣をひらめかせて、紅華は天明の前に立った。
「もちろん出てましたよ。ちゃんとお二人にはお祝いの言葉を述べてまいりました」
「で、なんでここに? それに、その服……」
紅華は、くるりと回って見せた。
「どうです? 素敵でしょう?」
紅華が着ていたのは、金糸銀糸の刺繍を施した緋色の衣だった。後宮に来る際に紅華が着てきたそれは、本来なら、今夜は睡蓮だけに着ることが許される花嫁の衣装だ。貴妃といえど、紅華がこれをきて婚礼の席に出ることはできない。
「いや、そういうことではなく……」
「だって、私は『皇帝陛下』の妻ですよ? 今夜は皇帝の婚礼ですもの。私の衣装は、これでいいんです」
それを聞いて天明は、は、とした。
「……似合いませんか?」
反応の鈍い天明に、紅華は不満そうに口をとがらせる。拗ねてしまったその表情を見て、天明は、柔らかい笑みを浮かべる。
「似合っている。素晴らしく綺麗だ」
「そうでしょう? こんなに綺麗な服は……」
「違う」
天明に言葉を遮られて、紅華がいぶかし気に天明に視線を向けた。
「綺麗なのは、お前だよ。陽可国一美しい花嫁だ」
そう言って笑った天明に、紅華が、か、と頬を染めた。天明は紅華の手をとる。
「わざわざ俺のために着替えてきてくれたのか」
紅華は赤い顔をしたまま、こくりと頷いた。
これは、紅華がたった一人のためだけに着る花嫁衣装だ。