「ごめんなさい、睡蓮。心配をかけたわね」

「いいえ! ご無事で、本当に何よりでした」

 そう言ったとたん、安心したのか睡蓮の目から涙があふれた。泣きじゃくる睡蓮をなだめながら、三人は紅華の部屋へと戻る。部屋では、晴明も待っていた。

「紅華殿」

「陛下、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「迷惑をかけたのは、こちらの方だ。危ない目に合わせてしまって申し訳ない。二人とも、無事でよかった」

 安堵する晴明は、涙のとまらない睡蓮に寄り添ってその背をさすってやる。睦まじい二人の姿を見ながら、紅華は姿勢を正した。

「陛下、お願いがあります」

「なんだい?」

「どうか、私をこのまま後宮においてください」

 は、と睡蓮が顔をあげる。

「これからも、私は貴妃として……いえ、淑妃でも賢妃でもかまいません。どうか、皇帝陛下のご寵愛を求めてもよい立場を、私にください」

 泣きそうな、それでいて笑いたいような表情になった睡蓮とは逆に、晴明は、嬉しそうに顔をほころばせた。

「そうか。決めたんだね」

「はい」

「構わないよ。このまま貴妃として後宮に残って、皇帝を支えておくれ」

「はい」

 そう言うと晴明は、うつむいてしまった睡蓮に向かって手を伸ばした。

「おいで。睡蓮」

「え?」

 顔をあげた睡蓮は、おだやかに呼んだ晴明を仰ぎ見て瞠目した。

 優しそうな笑顔はいつもの事だが、その目には今まで見たことのない強い光が宿っている。

「陛下……あの、どこへ?」

「これから何があっても、僕を信じて」

 困惑したまままじまじと晴明を見つめていた睡蓮は、状況がわからないながらも、こくり、と頷く。

「じゃあ、行ってくるよ、天明」

「ああ。しっかりな」

 しっかりと手をつないで二人が出て行くと、紅華は天明に聞いた。

「陛下は、どこへ睡蓮を?」

「多分、宰相のところだ」

「宰相?」

「お前が決めたんだ。晴明だって、ここは男として決めなければいけないところだろう」

「では」

「きっと、睡蓮を後宮に入れる話だ。とりあえず妃が二人いれば、しばらくは議会も静かだろう。……で、お前は本当にいいのか?」

「何がですか?」

「このまま、後宮の妃として残って本当にいいのか? さっきも言ったように、後宮にあるからには命を狙われることだってある。今ならまだ間に合うんだ。実家に戻る気はないのか?」

 紅華は、一度目を閉じて大きく深呼吸した。そして落ち着いてから目をあけると、正面から天明を見つめた。

 運が目の前にきたら、迷わず掴むこと。父の言葉が頭をよぎる。

「天明様が後宮から出られないのなら、私も一生後宮から出ません。たとえ後宮から出られなくても、天明様にできること……ちゃんと、あるんです。ですから、天明様も……私と一緒に、覚悟を決めてください」

 しばらくの間、何かを考え込むように黙って紅華を見つめていた天明は、ぽつりとこぼした。

「何故だ?」

「何故?」

「何故、お前は妃のままでいたいのだ?」

「だからそれは、皇帝陛下のお側で……」

「何故?」

 畳み掛けるように言われて困惑した紅華だが、天明の目が何かを期待するように光っているのを見て、ようやく彼が何を言わせたいのかに気づいた。

「そ、そんなの……! 決まっているじゃないですか」

「さあ? 俺にはわからん。それを聞くまでは覚悟なんかできないな」

 にやにやしている天明をにらみつけたまま、紅華はふくれっつらになる。

「やっぱり天明様は意地悪です」

「俺にばっかり言わせるからだ」

「あれは勝手に天明様が言ったんじゃないですか!」

「お前がはめたからだろう。……俺だって、聞きたいんだよ。お前の口から」

 言いながら、天明は紅華の腰に手をまわして引き寄せる。片手であごをとられ、うつむくことを許されない。間近で見つめあう天明は、それはそれは楽しそうな顔をしていた。

「ん? 紅華?」

 とんでもなく優しい表情と声で言われたら、紅華も本音を言わないわけにはいかない。

「あ……」

「うん」

「あ……」

「あ?」

「愛、して……おります」

「知っている」

 天明は嬉しそうに答えて、真っ赤な顔の紅華に唇を重ねた。