ふらつく紅華を支えて、天明は用意しておいた馬車に乗せる。握った紅華の手に視線を落とした天明は、すさまじい渋面になった。
「あいつ……せめて蹴り飛ばしてくればよかった」
細い手首には、縛られていたあとがすりむけて真っ赤になっていた。自分でほどこうと無理やり引っ張ったせいだ。
「晴明陛下はそんなこといたしませんよ」
「俺ならする」
「それでも、欄悠を切らないでくれたのですね」
さきほど天明が言ったように、皇帝の命を狙ったとなれば、問答無用で切り捨てられても文句は言えない。たとえ自分を裏切った男でも、紅華は、目の前で欄悠が殺される場面など見たくなかった。
「それは、晴明の仕事だ。あれでも、お前の元婚約者だろう? お前に恨まれるようなことは、すべて晴明がやればいい」
ぶっきらぼうに言った天明に、紅華は微笑む。あの状況でも、そんな紅華の気持ちを気遣ってくれた天明の心が嬉しかった。
「間に合わなくて、悪かった」
「いえ? 私はこの通り、無事ですよ」
「痛かっただろう」
天明が、そっと紅華の手を包む。
「本当なら、傷一つだってつけたくなかったんだ」
そういう天明の方が、よほど辛そうな声をしていた。その天明を見上げる紅華の心は、不思議なほど凪いでいた。
(私、やっぱりこの人が好きなんだわ)
同情なんかではない。あれほどに天明に腹を立てたのは、その心を占めていた睡蓮に対する嫉妬だと紅華は気づいた。薄々、気付いていたのだ。
いつからこんな想いを抱くようになったのか。紅華は、天明をまじまじを見つめた。そしてふと気づく。その頬にも腕にも、殴られたような痕やかすり傷があちこちにあることを。それを見て、さらに紅華の胸は熱くなった。
(天明様……)
紅華は、せまい馬車の中でなるべく天明から距離を取る。
「紅華?」
自分に背を向けた紅華を、天明は覗き込もうとする。
「こっちこないでください」
「どうした? 気分でも悪いのか?」
「最悪です」
それを聞いて天明の血の気がひく。
「あいつになにかされたのか? わかった。このまま医者に行こう。それまでがまんできるか?」
「できません。お医者様になど、治せません」
拗ねたような口調に天明は首をひねる。
「……どうした?」
「どうもしません」
「だが……」
「私のことなど、もう放っておいてください」
なにか気分、いや機嫌の悪そうなことはわかるが、天明にはどうしたらいいのかわからない。
「何を言っているんだ。一体……」
「だって」
うつむく紅華の声が、細くなっていく。
「天明様は、私より睡蓮の方がいいのでしょ?」
天明の目が点になった。
「……は?」
「晴明様とお話されていたではありませんか。睡蓮を、愛していると……」
「………………ああっ!?」
紅華が何を気にしているか思い当たった天明が声をあげた。
「違う! あれはもう幼い頃の話で……」
「本当に?」
ちら、とわずかに降り返った紅華に、天明はめずらしくあたふたとする。
「本当に!」
「そんなこと言って、しょっちゅう翡翠宮に来ていたのも、実は睡蓮に会いたくて」
「違う! 俺は、お前に会いたかったんだ!」
慌てる天明は、また背をむけてしまった紅華の肩が震えていることに気づいて声を詰まらせた。
「紅華……睡蓮に惚れてたのなんて、本当に子供のころの話だ。今はまったくそんなこと思ってない。俺が愛しているのは、睡蓮じゃない。……紅華、お前なんだ」
「あいつ……せめて蹴り飛ばしてくればよかった」
細い手首には、縛られていたあとがすりむけて真っ赤になっていた。自分でほどこうと無理やり引っ張ったせいだ。
「晴明陛下はそんなこといたしませんよ」
「俺ならする」
「それでも、欄悠を切らないでくれたのですね」
さきほど天明が言ったように、皇帝の命を狙ったとなれば、問答無用で切り捨てられても文句は言えない。たとえ自分を裏切った男でも、紅華は、目の前で欄悠が殺される場面など見たくなかった。
「それは、晴明の仕事だ。あれでも、お前の元婚約者だろう? お前に恨まれるようなことは、すべて晴明がやればいい」
ぶっきらぼうに言った天明に、紅華は微笑む。あの状況でも、そんな紅華の気持ちを気遣ってくれた天明の心が嬉しかった。
「間に合わなくて、悪かった」
「いえ? 私はこの通り、無事ですよ」
「痛かっただろう」
天明が、そっと紅華の手を包む。
「本当なら、傷一つだってつけたくなかったんだ」
そういう天明の方が、よほど辛そうな声をしていた。その天明を見上げる紅華の心は、不思議なほど凪いでいた。
(私、やっぱりこの人が好きなんだわ)
同情なんかではない。あれほどに天明に腹を立てたのは、その心を占めていた睡蓮に対する嫉妬だと紅華は気づいた。薄々、気付いていたのだ。
いつからこんな想いを抱くようになったのか。紅華は、天明をまじまじを見つめた。そしてふと気づく。その頬にも腕にも、殴られたような痕やかすり傷があちこちにあることを。それを見て、さらに紅華の胸は熱くなった。
(天明様……)
紅華は、せまい馬車の中でなるべく天明から距離を取る。
「紅華?」
自分に背を向けた紅華を、天明は覗き込もうとする。
「こっちこないでください」
「どうした? 気分でも悪いのか?」
「最悪です」
それを聞いて天明の血の気がひく。
「あいつになにかされたのか? わかった。このまま医者に行こう。それまでがまんできるか?」
「できません。お医者様になど、治せません」
拗ねたような口調に天明は首をひねる。
「……どうした?」
「どうもしません」
「だが……」
「私のことなど、もう放っておいてください」
なにか気分、いや機嫌の悪そうなことはわかるが、天明にはどうしたらいいのかわからない。
「何を言っているんだ。一体……」
「だって」
うつむく紅華の声が、細くなっていく。
「天明様は、私より睡蓮の方がいいのでしょ?」
天明の目が点になった。
「……は?」
「晴明様とお話されていたではありませんか。睡蓮を、愛していると……」
「………………ああっ!?」
紅華が何を気にしているか思い当たった天明が声をあげた。
「違う! あれはもう幼い頃の話で……」
「本当に?」
ちら、とわずかに降り返った紅華に、天明はめずらしくあたふたとする。
「本当に!」
「そんなこと言って、しょっちゅう翡翠宮に来ていたのも、実は睡蓮に会いたくて」
「違う! 俺は、お前に会いたかったんだ!」
慌てる天明は、また背をむけてしまった紅華の肩が震えていることに気づいて声を詰まらせた。
「紅華……睡蓮に惚れてたのなんて、本当に子供のころの話だ。今はまったくそんなこと思ってない。俺が愛しているのは、睡蓮じゃない。……紅華、お前なんだ」