なぜ自分がさらわれたのかわからないが、このまま待っていてもおとなしく帰れる保証はない。四苦八苦してなんとか手足の縄をほどこうともがいている紅華の耳に、扉が開く音が聞こえた。ぎょ、として振り向いた紅華は、そこにいた予想外の人物に目を丸くする。

「欄悠?!」

「ひさしぶりだね、紅華」

 欄悠は、紅華と婚約していた頃と変わらない優雅な様子で部屋へと入ってきた。

  ☆

「どういうこと?」

 欄悠が縄をほどいてくれた手首をさすりながら、紅華は聞いた。

「ある人物から、お前を夜まで預かってくれと頼まれたんだ」

「後宮から貴妃を誘拐なんて、あきらかに犯罪よ? 頼まれただけとは言っても、あんただってただではすまないわ。一体誰に頼まれたのよ?」

「そんなこと、俺が正直に言うと思うか?」

 せせら笑う欄悠を、紅華は失望しながら見ていた。

(これが本当の欄悠の姿なの……?)

 後宮にあがってからはいろいろ、本当にいろいろあったおかげで、欄悠のことなどすっかり忘れていた。こうして再び向かい合っていても、どうしてあの頃、あれほどにこの男に熱を上げていたのかさっぱり思い出せない。

(結局、私だって欄悠のこと、その程度にしか見ていなかったのね)

 初めての恋に浮かれていただけだったのかもしれない。ちやほやと愛してくれることに有頂天になって、自分たちは愛し合っていると信じて。けれど、自分は、欄悠の何を見ていたのだろう。欄悠のために何をしてあげただろう。

 紅華はため息をついた。

「今ならまだ騒ぎにはなってないかもしれないから、私を後宮へ帰して。欄悠のことは黙っているから」

「そうはいかないんだ」

「どうして」

 欄悠は、うっすらと笑みを浮かべて紅華を見つめる。

「なあ、俺のことまだ好きなんだろ?」

「はあ?!」

 後宮から誘拐などということをやらかしておいて何を言っているのか。紅華は本気であ然とした。

「よりを戻してやろうって言ってんだよ」

「何言ってんの? もうあんたのことなんて何とも思ってないわよ」

 強がりでもなんでもなく、それは紅華の本音だった。

「俺は気にしていないからさ。また愛してやってもいい、って言ってんだ」

(人の話を聞け!!)

 かつては、彼の言葉に胸をときめかせながらその瞳を見つめていた。でも今の紅華の心には、欄悠のどんな言葉も響かない。

 無言のままの紅華をどう勘違いしたのか、欄悠は紅華の手をつかむとその体を長椅子へと押し倒した。

「ちょ……!! やめて!」

「あの頃さっさとこうしておけばよかった。紅華、俺の妻にしてやるよ」

「冗談じゃないわ! 私は貴妃よ?! こんなことして……!」

「まだ、正式に貴妃になったわけじゃないんだろ?」

「それは……!」

 両手を取られてのしかかられてしまえば、紅華には身動きがとれない。欄悠は、片手で紅華の胸元を探った。

「嫌っ!」

「心配するな。俺、うまいんだぜ」