「ええ。それは疑ったりはしてないわ。睡蓮は、いつでも私のことを考えていてくれたことを、ちゃんと知ってる」

 睡蓮の目に、また涙が浮かぶ。その体を抱きしめて、紅華は囁いた。

「それでも、晴明様と私の様子を見ているのは辛かったでしょう。なのに、よく仕えてくれていたわね。ありがとう」

 抱いた細い肩が震える。

 睡蓮は、本当に紅華のことを親身になって世話をしてくれていた。

 職務とはいえ、想いあっている相手の妻の世話など、どれほどに自分を律して紅華に接していてくれていたのだろう。

 睡蓮から体を離すと、紅華はまっすぐに目を見ながら言った。

「私は、睡蓮が大好きよ」

「紅華様……」

 言葉にならない睡蓮を慰めながら、紅華にはもう一つ気になっていることがあった。

「あの、睡蓮」

「はい」

「その……天明様も、あなたの事を愛していたの? さっき、そんなことを言っていたけれど」

 睡蓮は、困ったように首をかしげた。

「先ほどのお言葉は、本当なのでしょうか。天明様が私をなんて、思ってもみませんでした。確かに、お優しい方ではありましたが……」

「そう」

 聞きながら、紅華の心は深く沈んでいた。

 晴明がたった一人の妃に、と決めたのが睡蓮だとわかったことより、天明が本当に愛していたのが彼女だと知ったことの方が、紅華にとっては何倍も衝撃だった。

 と同時に、どうして天明があれほどに紅華を後宮から追い出そうとしていたのか、おぼろげにだが掴んだ気がした。

 おそらく天明は、晴明と睡蓮がお互いを想いあっていることに、気づいていたのだ。それで自分の想いをかくして、ただ睡蓮の幸せだけを望んだ。天明ならきっとそう考えるだろうと、紅華は思う。

 そんな時に、紅華が後宮にやってきた。今のままでは、たった一人の妃、という言葉が逆に枷になって晴明は睡蓮と結ばれることができなくなる。それで天明は、二人の幸せを考えて、紅華を後宮から追い出そうとしたのだろう。

 もちろんそれは、紅華の一方的な推測に過ぎない。けれど、全く間違っている考えではないような気がした。

 天明が睡蓮を愛していた。そう知ることが、なぜこれほどに苦しくなるのか。

 睡蓮が、目を見開く。

「紅華様……」

 紅華の頬に、一筋の涙が流れていた。は、と自分でも気づいて、紅華はあわてて涙をぬぐう。

「や、やあねえ。ちょっと私もびっくりしたみたい」

「申し訳ありません、紅華様」

「睡蓮のせいじゃないわ。でも、ごめんね。少し心を整理したいから、先に部屋に帰っていてくれる?」

 戸惑いながらも、睡蓮はうなずいた。振り返り振り返り宮に戻っていくその後ろ姿を、あずまやに座ったまま紅華は、じ、と見送る。

 しなやかな細い体。白い肌。乱れた髪すら、女性としての色気が匂い立つ。

 どこをとっても、申し分ない美しい女性だ。少なくとも、紅華はそう思う。天明が睡蓮に惚れていたしても無理はない。

 しょっちゅう後宮に顔を出していたのも、本当は睡蓮に会いたかったからに違いない。

(何よ。晴明様のためだけに生きてるみたいなこと言って……ちゃっかりと、愛する人がいるんじゃない)

 刹那的に生きていると思った天明にも、ちゃんと自分の幸せがあったのだ。それは喜ぶべきことのはずなのに、何だか無性に腹が立つ。

(私、もしかして……)

 だがそれは、貴妃となる紅華が認めてはいけない気持ちだ。

 紅華の胸が、ぎゅっと締め付けられたように痛む。

(だめっ!)

「天明の、ばかばかばかばか!!!」

 その気持ちを振り払うように誰へともなく怒鳴り散らすと、紅華は勢いよく立ち上がった。

「もう知らない!」

 その瞬間、前触れもなく背後から口をふさがれた。

(っ?!)

 次いで布を巻かれて目を塞がれると、あっという間に紅華は誰かに抱え上げられてしまう。もがこうとした紅華の耳に、くぐもった声が聞こえた。

「命が惜しければ、おとなしくしていろ」

 言葉の主も口元に布を巻いているらしい。そのままどこかへと運ばれていく。

(なんで?! 誰か……助けて!)

 なすすべもなく、紅華はさらわれてしまった。