睡蓮は、晴明のことを嫌いではないと言っていたし、その身を案じる姿は嘘でも振りでもなかった。あの時は、気のせいと自分を納得させたけれど、こうして目の前で見ているとやはり違和感を持つのは否めない。そしてそのことに、きっと晴明は気づいている。
(睡蓮は、何かを隠している……?)
「後宮での生活は不自由なく過ごしている?」
二人で卓につくと、晴明がおっとりと聞いてきた。
紅華はわずかに考えてから、笑んで言った。
「はい、おかげさまでつつがなくすごしております」
先日あやうく死にかけたのでつつがなく、と言えるかどうかは疑問だが、ほんわりした晴明の様子を見ているとあの出来事もまるで遠い昔の事のように思えてしまう。
(晴明様だって、穏やかに見えてもああいう世界を生き抜いているのよね)
紅華は、あらためて晴明の背後にある大きなものを実感した。
「なかなか会いに行く暇もなくて悪いね。言い訳のように聞こえるかもしれないけれど、今は前陛下時代の引継ぎがあって本当に忙しいんだ」
無意識なのか、晴明が、ほう、とため息を吐く。
「ええ、わかっております。わたくしは大丈夫ですから、陛下こそお体にはお気をつけてください。そういえば陛下、天明様が」
「紅華殿」
ふいに、晴明が紅華の言葉を遮った。おだやかで聞き上手の晴明と話す時には今までなかったことで、紅華はきょとんとする。そんな紅華を見ながら、晴明はわずかに口角をあげた自分の唇に人差し指をあてた。
「その名を無闇に口にしてはいけない」
低く囁くような声だったが、そこには畏怖すら感じるほどの威圧感があった。見慣れてきていたはずのその顔を、紅華は初めて、怖いと思った。
「いいね?」
「はい……」
「いい子だ」
紅華がかすれた声で返事をした時には、もう晴明はいつも通りの笑顔に戻っていた。紅華はかすかに息を吐いて、早くなった鼓動を鎮める。
「あの……今日の謁見は、大変なのですか?」
触れてはいけない話題なのだと察した紅華は、話を変えた。
「顔見せだけだから、大変ということもないかな。ただ、新皇帝としての技量をまずは第一印象で推し量られる場ではあるから、これでも緊張はしているんだよ」
一瞬前の覇気など微塵も含まずに、晴明はやわらかなものごしで笑んでいる。
(以前睡蓮も、天明様の話はしない方がいいと言っていた。あの時は軽く考えていたのだけれど……そんな簡単な話ではないのかもしれない)
「そうなのですか。この時間で、少しでも緊張がほぐれると良いのですけれど」
なるべく紅華も、普段通りに話を続ける。
「ありがとう。もう少ししたら仕事も落ち着くし、君のもとにも通えるようになるよ。ああ、でも」
睡蓮が、運んできたお茶を二人の前に置く。その手元を見ながら、晴明は続けた。
「通うとはいっても、喪中の内はまだ身を慎まなければいけないから、まずは食事を一緒にどうかな」
「もちろん、喜んで。けれど、ご無理をなさらないでください。時間なら、これからいくらでもあるんですもの」
「紅華殿は、優しいね。君が後宮にいてくれてよかった」
ふわりと笑う晴明は、どこまでも優しい。けれど、晴明の二面性を目の当たりにした紅華は、きゅ、と唇を引き結んだ。
穏やかに見えても、晴明はやはり国を統べる責任を負う自覚を持った、一人の男なのだ。
(私は、こういう方の妃になるのね)
お茶を手に取った紅華は、何気なく睡蓮に視線を向けて、は、とする。
うつむいて唇をかみしめたその表情は、何かを必死に耐えているようだった。
「睡蓮……?」
思わず声をかける。だが、顔をあげた睡蓮は、穏やかで美しい笑顔をその顔に浮かべていた。
「はい、いかがいたしました?」
(睡蓮は、何かを隠している……?)
「後宮での生活は不自由なく過ごしている?」
二人で卓につくと、晴明がおっとりと聞いてきた。
紅華はわずかに考えてから、笑んで言った。
「はい、おかげさまでつつがなくすごしております」
先日あやうく死にかけたのでつつがなく、と言えるかどうかは疑問だが、ほんわりした晴明の様子を見ているとあの出来事もまるで遠い昔の事のように思えてしまう。
(晴明様だって、穏やかに見えてもああいう世界を生き抜いているのよね)
紅華は、あらためて晴明の背後にある大きなものを実感した。
「なかなか会いに行く暇もなくて悪いね。言い訳のように聞こえるかもしれないけれど、今は前陛下時代の引継ぎがあって本当に忙しいんだ」
無意識なのか、晴明が、ほう、とため息を吐く。
「ええ、わかっております。わたくしは大丈夫ですから、陛下こそお体にはお気をつけてください。そういえば陛下、天明様が」
「紅華殿」
ふいに、晴明が紅華の言葉を遮った。おだやかで聞き上手の晴明と話す時には今までなかったことで、紅華はきょとんとする。そんな紅華を見ながら、晴明はわずかに口角をあげた自分の唇に人差し指をあてた。
「その名を無闇に口にしてはいけない」
低く囁くような声だったが、そこには畏怖すら感じるほどの威圧感があった。見慣れてきていたはずのその顔を、紅華は初めて、怖いと思った。
「いいね?」
「はい……」
「いい子だ」
紅華がかすれた声で返事をした時には、もう晴明はいつも通りの笑顔に戻っていた。紅華はかすかに息を吐いて、早くなった鼓動を鎮める。
「あの……今日の謁見は、大変なのですか?」
触れてはいけない話題なのだと察した紅華は、話を変えた。
「顔見せだけだから、大変ということもないかな。ただ、新皇帝としての技量をまずは第一印象で推し量られる場ではあるから、これでも緊張はしているんだよ」
一瞬前の覇気など微塵も含まずに、晴明はやわらかなものごしで笑んでいる。
(以前睡蓮も、天明様の話はしない方がいいと言っていた。あの時は軽く考えていたのだけれど……そんな簡単な話ではないのかもしれない)
「そうなのですか。この時間で、少しでも緊張がほぐれると良いのですけれど」
なるべく紅華も、普段通りに話を続ける。
「ありがとう。もう少ししたら仕事も落ち着くし、君のもとにも通えるようになるよ。ああ、でも」
睡蓮が、運んできたお茶を二人の前に置く。その手元を見ながら、晴明は続けた。
「通うとはいっても、喪中の内はまだ身を慎まなければいけないから、まずは食事を一緒にどうかな」
「もちろん、喜んで。けれど、ご無理をなさらないでください。時間なら、これからいくらでもあるんですもの」
「紅華殿は、優しいね。君が後宮にいてくれてよかった」
ふわりと笑う晴明は、どこまでも優しい。けれど、晴明の二面性を目の当たりにした紅華は、きゅ、と唇を引き結んだ。
穏やかに見えても、晴明はやはり国を統べる責任を負う自覚を持った、一人の男なのだ。
(私は、こういう方の妃になるのね)
お茶を手に取った紅華は、何気なく睡蓮に視線を向けて、は、とする。
うつむいて唇をかみしめたその表情は、何かを必死に耐えているようだった。
「睡蓮……?」
思わず声をかける。だが、顔をあげた睡蓮は、穏やかで美しい笑顔をその顔に浮かべていた。
「はい、いかがいたしました?」