「陛下は皇帝として、陽可国のためにまじめにお仕事をされているのですよ?」

 批判めいた言葉にも、天明はすました顔を崩さない。

「やりたいことはすぐやらないと気がすまないたちなんでね」

「せっかちですね」

「明日も生きていられるとは限らないだろう? やりたいことを残して死ぬなんて、成仏できないじゃないか」

「またそんなことを。縁起でもないこと言わないでください」

 紅華は眉をひそめて天明をねめつける。だが天明は、そんな紅華の表情を面白がるばかりだ。

「真面目一辺倒の晴明なんてやめて、俺のものになれよ」

「何を言ってるんですか。わたくしはいずれ貴妃になる身ですよ? 皇帝以外にそのように心を乱すことがあっては」

「本当に貴妃になりたいのか?」

「……どういう意味ですか?」

 軽い調子の中にも、紅華はわずかな棘を感じた。

「貴妃なんて、はたで思うほどいいものじゃない。晴明が命を狙われているのは、昨日身をもって知っただろう? 貴妃になれば、紅華だって同じように狙われることもある。後宮にいれば贅をつくした良い生活ができるだろうが、それは命と天秤にかけてまで欲しいものなのか?」

「私は!」

 つい紅華が声高になったとき、ちょうど二人は女官たちの前を通り過ぎたので、紅華は口を閉じる。天明は余裕の笑みを浮かべていた。

「どうしてみんなだまされるのでしょう」

 返答には、わずかの間があった。

「見ろよ」

 天明は、前の方の離れた位置で廊下の端によけて頭を下げる侍女たちを、視線だけで示す。それは、身分の低いものが皇帝に対して行う礼儀だ。

 天明は、さらに声をひそめて低い声で言った。

「まじまじと俺の顔を見る奴なんて、ろくにいやしない。だから誰も気づかないんだ。皇帝だと思い込んでいるから、みんな俺にひれ伏している。必要なのは、皇帝の肩書だけで、その中味がどんな顔してたって関係ないんだよ」

 紅華は瞬いて天明をみあげた。その顔を、じ、と天明が見下ろしてくる。

「紅華は、俺の顔を知っている。……きちんと見ている証拠だ」

「天明様……」

「お前の前でなら、俺は……」

 言いかけて、天明は、は、と顔をあげた。

「ま、ほら。皇帝は何をしても許される立場だ。それを俺が利用して何が悪い? 晴明のふりしている間は、好き勝手やっても誰もわかりはしないんだ。だから、似ているこの顔を俺が利用しても全然……」

「あなたです」

 言葉を遮って鋭く言った紅華に、天明は意図がわからず聞き返す。

「俺がなんだって?」

「他の誰にわからなくても、あなたにだけはわかっているはずです。黎天明というあなたは、どれほどに似ていても決して黎晴明ではありません。必要があれば仕方のないことですが、どうか、晴明陛下の影にうずもれ過ぎてしまわないでください。そうでなければ、たとえあなたと言えど黎天明に対して失礼です」

 天明が、か、と目を見開いた。そこに浮かんだ怒気に紅華はとっさに、怒鳴り声を覚悟して息をつめる。

 けれど天明は何も言わず、紅華を見つめるだけだった。

(天明様……?)

 そんな二人の間に、ふわりと甘い香りが漂ってきた。

 天明は大きく息を吐くと、顔をあげて紅華の背後を示す。

「見えてきたな。あそこだ」

「あ……」

 つられて視線を向けた紅華の目の前に、一面の牡丹の庭が広がった。赤、白、天明の持ってきたのと同じ桃色もある。

「なんてきれい」

 思わず紅華はつぶやいて、歩き出した天明の後ろ姿を追う。