「後宮を出て行くつもりがないなら、間違えるなよ。大事なのは、皇帝陛下……つまり、晴明だ。晴明という皇帝がいて、晴明に子が生まれればその子がまたこの国を継いでいく。あいつさえ生きていれば、この先も国は続いていけるんだ。しょせん、他の皇子なんてどうでもいいんだよ」

「でも……」

 紅華は、泣きそうになってうつむいた。

「そんな風に、言わないでください。……確かに皇帝陛下は誰よりも尊ばれる方ですが、天明様だって、代わりになる人は誰もいないんです。どんなに憎たらしくても気に食わなくても、死んでしまっては喜べません。命を投げ出すことを、当たり前だとは思わないでください。誰も言わないなら私が言います。もっと、ご自分を大事になさってください」

 短かくはない沈黙のあと、ああ、とため息のように小さな天明の声が聞こえた。

「あー……、やっぱり俺の事は、憎たらしいのか」

 しょげてしまった紅華に調子を狂わされたのか、天明があえてからかうような口調で言う。

「無礼な方だなとは思ってましたが、それに加えて自分勝手で能天気な方という印象が増えました」

「……本人を目の前にして、どっちが無礼だか」

「初日から失態をお見せしてしまったので、今さら天明様に取り繕うのは無駄だと思っております」

 ふてくされながら言った紅華を見て、天明はまた声をあげて笑った。

「いいなあ。本当にお前は面白い奴だよ。……心配するな。犯人の目星はついているんだ。こっちだって、そうそうやられたままでいるわけじゃない」

 その言葉で、紅華は思い出す。

「そう言えば……あの時、一人だけ、天井を気にされた方がいたのです」

「天井? あの場にか?」

 天明の視線が鋭くなる。

「はい。ですから、私も気づきました」

「どんなやつだった?」

「官吏の方でした。お顔までは覚えておりませんが……左側のかなり前の方にいた方だったかと思います」

 紅華も、天明から視線をはずさなければ気づかなかった位置に、その官吏はいた。

 それを聞いて天明は考え込む。その姿を見ながら、紅華は気になっていたことを口にした。

「もしかして天明様は……」

「お待たせしました」

 その時、扉があいて睡蓮と、もう一人老年の男性が入ってきた。

「陛下、お怪我をなされたとか」

 淡々と言ったのは、この宮城の典医だ。

「心配ない。少し、打っただけだ」

 その瞬間から、天明はまた晴明になる。

「見た目に変わりがなくても、体内で傷つくことがあることもあります。少し、見てもよろしいですかな」

「しかたないな」

 天明は、先ほど着た服をもう一度はだけ、あざになった部分を出した。典医はそれをあちらこちらから診察して、確かに打ち身だけだということを確認する。

「では、また明日伺います。本日はなるべく肩や腕を使いませんように」

 貼り薬をぺたぺたと張りながら、典医が言った。

「わかった。ありがとう」

 穏やかな笑顔で天明が言うと、典医は部屋を出て行った。

「晴明のとこに行ってくる」

「あ」

 立ち上がった天明に、思わず紅華は声をあげた。けれど、それ以上なんと言えばいいのかわからない。

「……お大事になさいませ」

 結局それだけ紅華が言うと、天明は微かに笑いながらひらひらと手を振って部屋を出て行った。

(天明様……)

「では、紅華様もお部屋に戻りましょう」

「ええ」

 紅華は、くすぶった思いを抱えたまま立ち上がった。