「皇位の跡目争いなんて、ない方がめずらしいくらいだ。現に今だって」

「天明様」

 ふいに、睡蓮が言葉を遮った。

「あまり紅華様を脅かすのはやめてください」

「俺は、紅華殿のためを思って言ってるんだ。怖かったら、いますぐ実家に帰ってもいいんだぜ? なんなら俺が送ってってやる」

 挑発的に天明が言った。紅華の耳に、以前の天明の言葉がよみがえる。


『一刻も早く後宮を去れ』


「天明様は、私が貴妃になることに反対ですの?」

「正直言えば、是、だな」

 適当にごまかされるかと紅華は思ったが、天明はあっけらかんと答えた。

 紅華自身、自分が誰よりも貴妃に相応しい淑女などとは思っていない。だが、ほとんど自分のことを知らない天明にここまではっきりと言われる理由もわからない。

(こないだ取っ組み合いしかけたこと、まだ根に持ってしるのかしら。それとも)

「それは、私が貴族ではないからですか?」

 せいぜいがところそんなところしか思い当たらない。

 自分へと顔を向けた天明を、紅華は、じ、と見上げる。覆面の中に見える瞳は、存外澄んで美しかった。

 わずかな沈黙のあと、天明は苦笑交じりにいった。

「そうだな。身分のない妃ほどあわれなものはない。あんたのためだ」

「天明様」

 睡蓮のきつい声が飛ぶ。

「紅華様、天明様の言うことなど気にしないでください」

「え、ええ」

「紅華様なら、きっと陛下を支えられる素晴らしい貴妃となられます。どうか、陛下をお願いいたしますね」

 真剣な、それでいてどこか憂いを含んだ表情で睡蓮が言った。

「これから先、この国を背負っていく陛下には、紅華様のようなお優しくて強さも兼ね備えた妃の支えが必要なのです」

「え、そんな」

 なにかすごく褒められたような気がする。天明が、わざとらしく大きなため息をついた。

「やれやれ。父上を亡くしたばかりで傷心なのは、俺も同じだ。俺にも、紅華殿のような美妃の慰めが必要だとは思わないのか」

「だったら、素直に泣いたらどうですか? 袖の先くらい貸して差し上げますわよ」

「大の男が小娘みたいにわんわん泣けるかよ」

「だからといってそうやって陽気に振る舞われてお心を隠すのは、天明様の悪い癖ですね。ほんっとに素直じゃないんだから」

 足もとを注意しながら降りていた紅華は、天明の足がとまったことに気づいて振り返る。たたずんだまま、覆面の下から天明が、じ、とこちらを見ていた。

(う。怒ってる? 言いすぎたかしら)

 ぽんぽんと失礼なことを口にする天明だったから、紅華もつい口が過ぎてしまったらしい。

 謝ろうかどうしようかと迷いながら天明を見ていると、ふと、その視線が紅華の後ろに向いた。紅華がその視線を追うと、数人の官吏が階段を上がってくるところだった。先頭にいるのは、晴明だ。紅華に気づいて、ふわりと笑う。

「紅華殿、来てくれたんだね。ありがとう」

「はい。今、墓前にご挨拶をしてきたところです」

 紅華たちは端によけて晴明たちに道を譲り、膝をついて頭をさげた。

「私もこれから行ってくる。気をつけてお帰りね、紅華殿」

「陛下もどうか、お疲れのでませんように」

「ありがとう」

 そうして晴明は、階段をあがっていった。後からついていく官吏たちは、全くこちらを気にしない者、ちらちらと紅華を伺う者、様々だ。肩で息をする官吏も多い中で、晴明は先ほどの天明のように息も乱さずに階段をのぼっていく。

(この階段を毎日……ああ見えて晴明様って、意外に体力あるのね)

「では気をつけてまいりましょうか、お嬢様方」

 晴明の言葉をまねたのか、ばか丁寧に天明が言って立ち上がった。少し前のきまずい空気は、そこにはもうなかった。

 紅華はただ、はい、と答えて立ち上がった。

  ☆