彼女がお湯で温めたタオルでイコマ・ニコマの足を拭っている間に、紫苑は急いで居間を片付け、佳乃は牛乳を温め人数分のお茶を用意する。そのような連携プレーの後、3人と2体は居間に車座になっていた。人間である彼女達親子はともかくとして、2体にテーブルは高すぎるので、出さない事にしたのである。
平皿に注いだホットミルクをそれぞれの前に置く佳乃に、イコマ・ニコマは『どうぞお構いなく!御母堂様!』とこれまた礼儀正しく頭を下げた。2体がホットミルクに口を付けるのを待ってから、彼女は「早速ですが」と切り出した。
「『人神様』とは何ですか?私を指しているようですが、何かの間違いでは?」
『とんでもございません!』
『この度の神議りにて、我等の神社の引き継ぎに、貴方様が選ばれたのでございます!』
「え?神議りってマジであんの?」
「神社の引き継ぎって何です?この子が選ばれたってどういう事ですか?」
紫苑と佳乃のリアクションはそれぞれである。神無月、即ち10月には八百万の神が出雲に集い大会議を開く『神議り』がある事は、自他共に認めるオタクたる彼女は元より、佳乃と紫苑も知識として知ってはいる。だがそれはあくまでも、神話の中の事柄でしかなかったのだが。
『実はこの度、私共の神社の祭神様が隠居なさる事になりまして』
「隠居するのか神様も。てか何処の神社?」
紫苑に問われてイコマは名を告げた。彼女達は「ああ」と何かを思い出す顔になる。
「うちの地元の神社だね。縁結びの神様の」
「あー。七五三とかで行った覚えがあるわ」
「あんた達、何だかんだ世話になってるからね」
ニコマは『左様にございます。その神社にございます』と首肯した。
『隠居なさるにあたり神社の後継となる神が必要ですが、手を挙げて下さる方がおらず…』
『そこで、今を生きる人に神通力を譲渡し後継となって頂いてはどうかと意見がありました。選ばれたのが貴方様なのでございます』
「何故私?」
彼女の最大の疑問である。
「神通力を引き渡すなんて大事じゃないですか。私はただの人間なのに。霊感だとか…まあ何かその手の特別な力を持った人の方がいいと思いますよ。もっと相応しい人がいると思います」
イコマ・ニコマは、揃ってきっぱりと首を横に振った。
『いえ!貴方様でなければ!』
『白銀命様様による、直々の御指名でございます!』
「『白銀命様』?」
「誰それ」
「そんな神様いたっけ?」
古事記でも日本書紀でもついぞ見かけた事が無い名に疑問符を上げると。
イコマ・ニコマ曰く、遥か神話の時代から在り続ける神剣に宿る神霊らしい。要は付喪神である。妖の一種とは言えぬ程に神格は高いらしいが。
何でも「月の光を鍛えた」と称される神剣の化身だけあって美麗な男神で天津神達の代理を務めており、その歴史・立場・神格から、神議りにおいては絶大な発言権を持つのだという。
初めて得た知識に彼女達親子は一様に「へーえ」と頷いた。
「天津神って天照大神…様とかでしょ?その代理って、つまりスーパーエリートじゃん」
「何でまたそんな重鎮が、一般人でしかない私を指名したんですか?」
『そ…それは…』
『申し訳ございません。私共ではわからないのでございます…』
イコマ・ニコマは心底申し訳なさそうに、しゅんと頭を垂れた。彼女は「謝らなくていいですよ」とフォローし「まず一つ」と切り出した。
「ただの人間が後継となる事を、現在の祭神様にはご納得頂けているんですか?」
『勿論でございます!』
『むしろ、今を生きる人が神の立場となる事で新しいものをもたらしてくれるであろうと、期待しておいででした!』
佳乃と紫苑は「随分理解のある神様だね」「そだね」と囁き合っていた。
『お渡しする神通力も預かって参りました!』
『後は貴方様さえご了承頂ければ、すぐにでも宮司達との顔合わせもできます!』
「宮司さん達?つまり我々と同じ現在を生きる『人間』ですよね?祭神が代わる事を把握しているんですか?」
確認の意を込めて訊くと、イコマ・ニコマは『左様にございます』と首肯した。
『私共が特別に顕現して知らせました。人前に顕現したのは初めてでございましたので、いやはや緊張しました』
『本来でしたら神主一同でお迎えに上がるのが礼儀ですが、何分急の事でしたので、私共だけで参った次第にございます』
「宮司さん達めっちゃ驚いただろうね」
「大丈夫かな…」
何名がその場に居合わせたのかわからないが、腰を抜かしたであろう事は伺える。神主達を案じる彼女の横から佳乃が「あの」と口を挟んだ。佳乃の口調は静かだが、眼差しは鋭い。
「発言権を持つ神様からの指名とは、つまり事実上の命令ですよね?断ったら、この子は何かされるんですか?」
『白銀命様様は、そのような事をなさる御方ではございませんが…』
『ですがしかし、御母堂様。この地を守る神の座が空席になってしまう事は、非常に由々しき事態なのでございます』
佳乃は静かに彼女の肩に片手を置いた。
「でも、この子にもこの子の生活があります。いきなり知らない世界で全く違う生活をしろと言われて、親として『はいそうですか』と送り出す事はできません」
『いえ!異なる世界に行く訳ではございません!』
『人神様には人としてのこれまでの生活がある事は、重々承知。人神様にはこれまで通りの生活を送って頂き、同時に祭神としてのお役目を果たす、二重生活を送って頂く事になります』
『ただその、お住まいを神社に移して頂くなど、どうしても今までと変えて頂く事はございますが…』
「ああ。神社に神様がいないなんて変ですもんね」
佳乃は2体の回答に、安堵したように息をついた。
しかし彼女は眉を顰めて2体に問う。
「って、私が住む場所を用意するとか、神社の人達も大変なんじゃないですか?」
『物理的な場所のご心配をなさる必要はございません』
『神器の鏡がございます。お渡しする神通力で、鏡の向こうにご自由に神域を作って頂ければと』
安心させるように答える2体に、彼女は「あー成程」と呟いた。
「鏡の向こうにも神社というか領域が存在すると仮定して、仮想空間を構築すればいいって訳ですか」
「この一瞬でよくそこまで想像できるねお姉ちゃん」
「パソコンで仮想領域を作るようなもんだと思えば変わらんよ」
佳乃と紫苑は「そこはお姉の専門分野だね」「んだね」と頷き合った。
彼女は視線を正面に戻し「もう一つ」とイコマ・ニコマに告げる。
「縁結びの神社である事は承知しておりますが、私が祭神となるからには、私の流儀でやらせてもらいます。なお、詳細は宮司さん達と顔合わせをした時にきちんと話します」
『おお!では、この話をお受け下さるのですか!?』
彼女は「受けるも何も」と目を細めた。
「クリスマスも始まっていないと言えど、初詣なんてすぐそこ。そんな時期に急に話が来るのは、それだけ現在の神様の力が弱まっているという事なんじゃないですか?」
『は、はい…。実を申しますと、その通りでございます…』
最早隠し立てする事も無いと判断したのか、2体は素直に答える。
彼女は「更に一つ」と言った。
「君達、そうやって顕現はしていますけど、向こうが透けて見える。一刻も早く代理の神様を立てないと、君達の存在も危ういのでは?」
「え?何?コマちゃんズ、消えちゃうの?」
紫苑が慌てた声を上げた。イコマ・ニコマは顔を見合わせ、『お見通しでございますか…』と躊躇いつつも頷く。
『仰る通りでございます。私共が消滅してしまうという訳では、流石にございませんが…』
『ですが、此度の顕現は、祭神様のお力をお借りし何とか成り立っているもの。そうでなければ、私共はただの狛犬に戻ってしまいます』
彼女は「そうですか」と返し、片手を2体の前に出した。
「なら早くその預かってきた神通力を譲渡して下さい。特別な儀式か何かが必要なら、必要な場所へ移ります。あと神社の人達に挨拶もして、今後の方針とか神域を作る事だとかを周知します。そうそう。そちらの世界の常識とか流儀とかは、イコマさんとニコマさん。君達を頼りにしますので」
彼女はくるりと、佳乃と紫苑を振り向いた。
「お母さん。紫苑。私、この話を受けるわ。家を出る事になるけど、お金は変わらず家に入れるから安心して。ただどうしてもこれから色々忙しくなるから、そこは迷惑かけると思う」
かくして、彼女は人神となる事を受け入れたのである。
平皿に注いだホットミルクをそれぞれの前に置く佳乃に、イコマ・ニコマは『どうぞお構いなく!御母堂様!』とこれまた礼儀正しく頭を下げた。2体がホットミルクに口を付けるのを待ってから、彼女は「早速ですが」と切り出した。
「『人神様』とは何ですか?私を指しているようですが、何かの間違いでは?」
『とんでもございません!』
『この度の神議りにて、我等の神社の引き継ぎに、貴方様が選ばれたのでございます!』
「え?神議りってマジであんの?」
「神社の引き継ぎって何です?この子が選ばれたってどういう事ですか?」
紫苑と佳乃のリアクションはそれぞれである。神無月、即ち10月には八百万の神が出雲に集い大会議を開く『神議り』がある事は、自他共に認めるオタクたる彼女は元より、佳乃と紫苑も知識として知ってはいる。だがそれはあくまでも、神話の中の事柄でしかなかったのだが。
『実はこの度、私共の神社の祭神様が隠居なさる事になりまして』
「隠居するのか神様も。てか何処の神社?」
紫苑に問われてイコマは名を告げた。彼女達は「ああ」と何かを思い出す顔になる。
「うちの地元の神社だね。縁結びの神様の」
「あー。七五三とかで行った覚えがあるわ」
「あんた達、何だかんだ世話になってるからね」
ニコマは『左様にございます。その神社にございます』と首肯した。
『隠居なさるにあたり神社の後継となる神が必要ですが、手を挙げて下さる方がおらず…』
『そこで、今を生きる人に神通力を譲渡し後継となって頂いてはどうかと意見がありました。選ばれたのが貴方様なのでございます』
「何故私?」
彼女の最大の疑問である。
「神通力を引き渡すなんて大事じゃないですか。私はただの人間なのに。霊感だとか…まあ何かその手の特別な力を持った人の方がいいと思いますよ。もっと相応しい人がいると思います」
イコマ・ニコマは、揃ってきっぱりと首を横に振った。
『いえ!貴方様でなければ!』
『白銀命様様による、直々の御指名でございます!』
「『白銀命様』?」
「誰それ」
「そんな神様いたっけ?」
古事記でも日本書紀でもついぞ見かけた事が無い名に疑問符を上げると。
イコマ・ニコマ曰く、遥か神話の時代から在り続ける神剣に宿る神霊らしい。要は付喪神である。妖の一種とは言えぬ程に神格は高いらしいが。
何でも「月の光を鍛えた」と称される神剣の化身だけあって美麗な男神で天津神達の代理を務めており、その歴史・立場・神格から、神議りにおいては絶大な発言権を持つのだという。
初めて得た知識に彼女達親子は一様に「へーえ」と頷いた。
「天津神って天照大神…様とかでしょ?その代理って、つまりスーパーエリートじゃん」
「何でまたそんな重鎮が、一般人でしかない私を指名したんですか?」
『そ…それは…』
『申し訳ございません。私共ではわからないのでございます…』
イコマ・ニコマは心底申し訳なさそうに、しゅんと頭を垂れた。彼女は「謝らなくていいですよ」とフォローし「まず一つ」と切り出した。
「ただの人間が後継となる事を、現在の祭神様にはご納得頂けているんですか?」
『勿論でございます!』
『むしろ、今を生きる人が神の立場となる事で新しいものをもたらしてくれるであろうと、期待しておいででした!』
佳乃と紫苑は「随分理解のある神様だね」「そだね」と囁き合っていた。
『お渡しする神通力も預かって参りました!』
『後は貴方様さえご了承頂ければ、すぐにでも宮司達との顔合わせもできます!』
「宮司さん達?つまり我々と同じ現在を生きる『人間』ですよね?祭神が代わる事を把握しているんですか?」
確認の意を込めて訊くと、イコマ・ニコマは『左様にございます』と首肯した。
『私共が特別に顕現して知らせました。人前に顕現したのは初めてでございましたので、いやはや緊張しました』
『本来でしたら神主一同でお迎えに上がるのが礼儀ですが、何分急の事でしたので、私共だけで参った次第にございます』
「宮司さん達めっちゃ驚いただろうね」
「大丈夫かな…」
何名がその場に居合わせたのかわからないが、腰を抜かしたであろう事は伺える。神主達を案じる彼女の横から佳乃が「あの」と口を挟んだ。佳乃の口調は静かだが、眼差しは鋭い。
「発言権を持つ神様からの指名とは、つまり事実上の命令ですよね?断ったら、この子は何かされるんですか?」
『白銀命様様は、そのような事をなさる御方ではございませんが…』
『ですがしかし、御母堂様。この地を守る神の座が空席になってしまう事は、非常に由々しき事態なのでございます』
佳乃は静かに彼女の肩に片手を置いた。
「でも、この子にもこの子の生活があります。いきなり知らない世界で全く違う生活をしろと言われて、親として『はいそうですか』と送り出す事はできません」
『いえ!異なる世界に行く訳ではございません!』
『人神様には人としてのこれまでの生活がある事は、重々承知。人神様にはこれまで通りの生活を送って頂き、同時に祭神としてのお役目を果たす、二重生活を送って頂く事になります』
『ただその、お住まいを神社に移して頂くなど、どうしても今までと変えて頂く事はございますが…』
「ああ。神社に神様がいないなんて変ですもんね」
佳乃は2体の回答に、安堵したように息をついた。
しかし彼女は眉を顰めて2体に問う。
「って、私が住む場所を用意するとか、神社の人達も大変なんじゃないですか?」
『物理的な場所のご心配をなさる必要はございません』
『神器の鏡がございます。お渡しする神通力で、鏡の向こうにご自由に神域を作って頂ければと』
安心させるように答える2体に、彼女は「あー成程」と呟いた。
「鏡の向こうにも神社というか領域が存在すると仮定して、仮想空間を構築すればいいって訳ですか」
「この一瞬でよくそこまで想像できるねお姉ちゃん」
「パソコンで仮想領域を作るようなもんだと思えば変わらんよ」
佳乃と紫苑は「そこはお姉の専門分野だね」「んだね」と頷き合った。
彼女は視線を正面に戻し「もう一つ」とイコマ・ニコマに告げる。
「縁結びの神社である事は承知しておりますが、私が祭神となるからには、私の流儀でやらせてもらいます。なお、詳細は宮司さん達と顔合わせをした時にきちんと話します」
『おお!では、この話をお受け下さるのですか!?』
彼女は「受けるも何も」と目を細めた。
「クリスマスも始まっていないと言えど、初詣なんてすぐそこ。そんな時期に急に話が来るのは、それだけ現在の神様の力が弱まっているという事なんじゃないですか?」
『は、はい…。実を申しますと、その通りでございます…』
最早隠し立てする事も無いと判断したのか、2体は素直に答える。
彼女は「更に一つ」と言った。
「君達、そうやって顕現はしていますけど、向こうが透けて見える。一刻も早く代理の神様を立てないと、君達の存在も危ういのでは?」
「え?何?コマちゃんズ、消えちゃうの?」
紫苑が慌てた声を上げた。イコマ・ニコマは顔を見合わせ、『お見通しでございますか…』と躊躇いつつも頷く。
『仰る通りでございます。私共が消滅してしまうという訳では、流石にございませんが…』
『ですが、此度の顕現は、祭神様のお力をお借りし何とか成り立っているもの。そうでなければ、私共はただの狛犬に戻ってしまいます』
彼女は「そうですか」と返し、片手を2体の前に出した。
「なら早くその預かってきた神通力を譲渡して下さい。特別な儀式か何かが必要なら、必要な場所へ移ります。あと神社の人達に挨拶もして、今後の方針とか神域を作る事だとかを周知します。そうそう。そちらの世界の常識とか流儀とかは、イコマさんとニコマさん。君達を頼りにしますので」
彼女はくるりと、佳乃と紫苑を振り向いた。
「お母さん。紫苑。私、この話を受けるわ。家を出る事になるけど、お金は変わらず家に入れるから安心して。ただどうしてもこれから色々忙しくなるから、そこは迷惑かけると思う」
かくして、彼女は人神となる事を受け入れたのである。