「突然の来訪を許せ、村長」
 夜中に戸を叩く者があり、腹立たしさを感じつつも出てみれば、妖しい瞳をもった真っ黒な巨烏がいた。驚きに寝惚け眼を何度もこすれば、それが大きな烏ではなく人だと分かる。
「どうやら、この烏王を謀った阿呆どもがいると聞いてな」
「う……烏王……様……っ!?」
 長は声をわななかせ、尻から地面に落ちた。
「そ、その件は、わ、わたくしもつい先日知ったばかりで……!」
「ほう、どうやら噂は長の耳にも届いていたか。ならば話は早い。もちろん何らかの沙汰を下しても文句はあるまい?」
 
 枕元に現れた、浮世離れした臈たけた面ざしの青年に叩き起こされ、レイカの両親は目を覚ますと一緒に腰を抜かした。
 青年の口元は柔和な線を引いていたが、その真っ赤な瞳は色に反して驚くほど冷たい。間違いなく村人でもなければ人間でもなかった。
「よくも俺を謀ったな」
 その一言で、レイカの両親は瞬時に、誰が何の為に訪ねてきたか察した。
「ち、違います! こ、これは、わたくしどもの意思ではなく……そ、そう! 我が家で養っていた忌み子がどうしてもと言うものでして、わたくしどもも渋々――」
 烏王は「ほう」と目を細める。
 すると、部屋の外から気怠い声が入ってくる。
「お父さんったら、夜中になぁに~? うるさくて目が覚めちゃ――ッヒ!」
 真っ先にレイカの目に飛び込んできたのは、両親は布団の上で土下座する姿。そして、その頭の先には暗闇に紛れた男が立っており、その眼光にレイカは喉を痙攣させた。しかしそれも一瞬。目が闇に慣れ、男の容貌が一際優れていると分かると、レイカの眉はたちまち垂れる。
「ああ、お前が本物のレイカか。会いたかったぞ」
「本物……って、もしかして烏王様!? ああ、やっぱり! 私を迎えに来てくださったのですね」
 レイカは嬉々としてはしゃぐが、烏王は冷ややかに視線を下げた。
「その腹……やはり身籠もっていたか」
 レイカの腹は丸みを帯びていた。
「あ、こ、これは……村の男に無理矢理……わ、私は花御寮になりたくて純潔を守ってきたのですが……それで妹が、花御寮を変わらなければ掟破りを長に言いつけると……っ」
 烏王は片口をつり上げた。この娘は、こちらが何も知らないと思っているのだろうか。立派に泣き真似までして、己の罪をまだ菊に被せようとしている。しかも無理矢理とは、どこまでも厚かましい。
「あははは! 実に立派な親子だ! こうも同じ事を言えるとは――」
 実に滑稽で、笑わずにはいれなかった。
「――親子共々腐っている」
 底冷えするような烏王の声音に、三人の肩が跳ねる。
「勘違いするな。俺はお前達に罰を与えにきただけだ。誰がお前のようなウジ以下の女を迎えに来るか」
 吐き捨てるように言った台詞に混ざった、『罰』という言葉を三人はしっかりと聞き取った。暗闇で三人の顔は青白く浮かび上がり、カチカチと歯が揺れる音が響く。
「数百年と同じ村の中で婚姻し続けても、病が出なかった理由が分かるか? その滅伐の力が血の悪も抑えていたからだ。では、その押さえていた力が無くなればどうなると思う」
 レイカはイヤイヤと首を振りながら後退る。
「っ何でよ!? 菊が気に入らなかったからって、どうしてあたし達に意地悪するのよ!」
「そ、そうです! やはりあのような娘はお気に召さなかったのですよね!? だから罰などと」
「娘はこの通り器量よしです! 腹の子はこちらでどうにかしますので――」
 この期に及んで何も分かっていない三人に、烏王は憐れみさえ覚えた。口々に「やめてくれ」と、餌を欲しがる雛鳥のように喚いている。雛鳥と違ってまるで可愛くはないが。
「菊も、お前達に何度やめてくれと思っただろうな。それでお前達はやめたのか?」
 そこで三人は漸く烏王が何に怒っているのか理解した。そして今までの自分達の発言が彼を逆撫でするようなものだった事も。
「お前達が生きている限り、俺の菊は苦しんでしまう」
 烏王が手をかざせば、三人の身から何かが抜け出す。と、同時に三人は糸の切れた操り人形のように、グシャリと床に不細工に突っ伏した。
「これからお前達は急激に老衰し、この世に存在する数多の病がその身を蝕む。疼痛尖痛楚痛酷痛様々な痛みに苛まれ、早々に死ぬ。運良く生き残っても、一生病の苦しみを背負うことになる。死んだ方がマシだと思うだろうなあ」
 烏王が言い終わると同時に、レイカ達の手に干からびたような皺が刻まれ始めた。
「いやあああああ!」
 実に耳障りな悲鳴だ、と烏王は不快に眉根を寄せたが、その叫喚もすぐにしわがれ、耳にも届かなくなった。

 ◆
 
 菊は薄紅より緑が多くなった景色を、縁側から静かに眺めていた。
「そんなに葉桜が珍しいか」
 春風のような温か含んだ心地良い声が、菊の背にかけられる。
 振り返れば烏王が、微笑みを浮かべ立っていた。
「烏王様!」
 菊は、縁側の向こうに広がる綾なす景色にも負けぬ鮮やかな笑みで、彼を迎え入れた。

「それにしても、まさか長が古柴家の者達が村から出て行くのを許すとは……」
 忌み子である自分さえも、村の内で抱えたというのに。
「二度と会うこともないから、もう気にするな。忘れろ、菊」
 烏王の唇が額を掠めた。くすぐったさに菊は烏王の肩口に頬を寄せる。
 菊は胡坐の上に乗せられる形で、すっぽりと烏王の腕の中に収まっていた。近頃はこの体勢が彼のお気に入りらしい。その前は、背後から烏王が覆うような形だった。
 重ねられた二人の手は、指先まで絡んでいる。
「もう俺の手は怖くないか?」
 菊は苦笑した。
「意地悪ですね。あれは一種のクセですから。ぶたれる時以外、私に手が差し伸べられる事はありませんでしたから」
 ほんの二ヶ月ほどしか経っていないというのに、はるか昔の事のように思えた。
「今、私は烏王様の腕の中にあれて、とても幸せです」
「俺もだ」
 陽だまりの中にいるように、二人の表情も穏やかなものだった。
「今なら分かる。村と契約を交わした最初の烏王が、なぜ村娘を欲しがったのか」
「どうしてです?」
「烏の翼は、愛しい者を雨露から守る傘になってはやれるが、このように抱きしめることはできないのだ。きっと烏王は、愛する者を温める腕が欲しかったのだろうな」
 真っ黒の着物を着た烏王が菊を抱きしめれば、まるで烏が抱きしめているようだ。
「それにしても、私は本当に花御寮のままでいても良かったのでしょうか」
 何よりそれが一番の問題だと菊は思っていたのだが。もし烏の郷の掟を、彼に破らせているのなら申し訳ない。
「ははっ! 勝手に村が決めた掟など知らんな。元は秘密保持のために村娘と指定したのだろうが。別に花御寮に滅伐の力は必要ないし、人間であれば構わないさ」
 案外とあっさり解決したことに、菊は拍子抜けした。
「まあ、そうだな。花御寮の資格というのなら……」
 顎を撫でながら思案に天を仰いだ烏王。何やら思いついたのか、ニヤリと悪戯小僧のような笑みを浮かべ、菊に目を向ける。
「俺の事をどう思っているのか、答えて貰おうか」
「は……っ! そ、それはあまりにも……恥ずかしいと言いますか何と言いますか……」
 菊はごにょごにょとアレコレ言うが、烏王は目を細めながら「んー?」と待っている。
「もう」と、菊はやけっぱちで耳元に口を寄せ、囁いた――「お慕いしております」と。
 くすぐったそうに肩をすくめて、烏王は笑った。
「俺の花御寮! 覚悟してくれ。もう、到底お前を離せそうにない!」
「はい。離さないでくださいませ、旦那様」
 宝物を扱うように丁寧に優しく、されど強く強く抱きしめた烏王の腕の中で、菊は一等きらきらしく笑った。
【了】