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 ざあぁ、ざあぁ、と規則正しい音に紛れて、輝月は大きく息を吐いた。
 持参の小さな敷物の上に、細かい砂がざらざら乗っている。前には、小さな砂の山と、開通したトンネル。
 先ほど塗り直した日焼け止めで、体中べたべたする。三千円もしたおかげでそこそこ見栄えのする水着は、海の水を吸って冷えてしまっていた。
 正直寒いので、また海水に浸かる。沖の方では、小さなビニールボートに乗り、きゃあきゃあはしゃぐビキニのおねーさんたちと、可愛い女子に囲まれまんざらでもなさそうに泳ぐ今光源氏。
 俺が相手してあげる。
 別に変な意味ではないのはわかってる。遊び相手になって欲しいわけでもない。でも、女子たちの勢いに負けてウソをつかれたことがショックだった。
 ああもう、海の家で監視してくれてる人に、そんなに沖では泳がないでくださーいって、注意されてしまえ!
「もう、単純なんだから・・・・・・」
 思わずもれたその言葉が、怒ったような響きになってしまったことに、自分でも驚く。
 隠し事をしているというのに、今光源氏は、少しも態度を変えずに接してくれる。あえてそうしているのかもしれない、と思わないでもないが。
 しかし海では、誘っといたくせに、完全にほったらかされていた。まあ、人前では関わるなって言ったし気楽でいいんだけど。
 教室の隅でいつも、一人でなにかしらしている輝月が陽キャたちに加わることをどう説明したのか知らないが、奇異の目で見られて話の輪からは外されたところを見ると、いつものように言葉で押し切ったようだった。
 バカだなあ。ただでさえ敵視されてんのに。
 一人、申し訳ないと思ったのか話しかけてくれる子はいた。でも、輝月の口下手と、なにやってるの? という友達の圧に離れていってしまった。
 かき氷を、同じストローで味見をしあっているのを横目に、ブルーハワイを全部一人で食べ切り、そのあとは浮き輪で浅瀬の方を、波に任せぷかぷか浮いていた。
 浮き輪に掴まって、刻々と鋭く、キツくなっていく日差しを眺める。
 暇だなぁ、つまんないなぁ、と堂々巡りで思うようになって、頭の隅に、一つの選択肢がぷかりと浮かび上がってきた。
 帰る。
 ・・・・・・いっそのこと、帰ろうか。
 自分で問いかけ、自分で答えた。うん。帰ろう。これ以上ここにいても、ぼっちの自分を目の当たりにして惨めになるだけだから。
「よし、帰ろう」
 自分を奮い立たせるように口に出した声は、海風にさらわれて散った。ざばあっと勢いよく立ち上がる。だいぶ寒いけど、しょうがない。
 シャワー浴びて、更衣室で着替えて、バスと電車乗り継いでかーえろっと。
 手早くシートの上の砂を払って丸め、足で山を潰す。トンネルが空いていたせいか、いとも容易く崩れ落ちた。
 ビーチサンダルに絶え間なく砂が侵入するのも厭わずに、ざっざっと派手に音を鳴らし、波打ち際から遠ざかる。
「『姫』? ちょっ。え? どこ行くの?」
 声が、遠く、風に乗って運ばれてくる。同時に、甘ったるい、今光源氏を引き止める声も聞こえた。
「いいじゃん、あんなのはさ。もっと遊ぼ?」
「ちょっと、『姫』! 待ってって」
「きゃっ、水、かけないでよ。もう、やったな〜?」
 また戯れ始めたらしい。けたたましい悲鳴と笑い声を背に、唇を噛んでシャワー室に駆け込んだ。
 あんなの? あんなのって、なに?
 百円入れて水着を脱ぎ、勢いに任せ身体中を洗い流す。
「なんも、してないのに・・・・・・」
 ただ悲しかった。なんの理由もなく貶められる理不尽さを、輝月は今日、久しぶりに味わった。名前も知らないあの人と私は、今日がほぼ初対面みたいなもので、性格も、家族構成も、好物も、なにも知り合ってない。なのに。
 こんな気持ち、何歳以来だろうか。
 じゃあああっ、と勢いよく出ていた水が止まった。あちこちから小さな水滴がこぼれ落ちる。
 今光源氏のガラスを開けることはもちろん、最終手段の割ることさえできなかった。
 指紋くらいはつけられたかなあ。
 ・・・・・・情けない。大きくため息をついて、輝月は着替えへ向かう。涼しげな真っ白の夏のワンピース。行くとき黒髪がよく映えて、養父母に褒めちぎられたけど。
 今は、と、手櫛で髪を梳きながら、気分が沈んだ。
 意気込んで出かけた海水浴は、ただ髪の毛が海水でぱさぱさになっただけだった。