「あぁ〜・・・・・・」
 高校の卒業式の夜。
 ため息をもらして、輝月は薄暗い部屋のベッドに座り込む。
 ヤバい。無理、マジ。心臓がうるさい、ああもうやだ。もう一度、ため息をつく。
 明日だね、最後。やり切ったよ。昨日、そう言って笑みを見せながら、カレンダーに九百九十九と書き込んだ翔琉。
 来ないで欲しい、いっそのこと。
 この千夜通いの元となる小野小町の百夜通いは、完遂されることがなかった。九十九夜目に男の人が熱を出し、亡くなったという。
 死ねとまでは言わないが、というか死んでほしくはないが、なにかトラブルにぶつかって、一分でも一秒でも遅れてほしい。覚悟ができてないよ。
 ダメだ・・・・・・逃げちゃ。あとがない。朝日たちにせっつかれてから輝月は、半年も引き伸ばしてきた。だけど、もう明日はない。
 立ち向かうべき壁は、もう翔琉のみ。
 今日、全て言うつもりだ。翔琉への気持ち、月には帰らないこと。将来の夢。そして、謝罪。
 翔琉に手伝ってもらって、八宵にだって向き合えた。だけど、今度は自分一人で立ち向かう番だ。己を必死に奮い立たせる。
 偶然するりと解ける悩みもある。突然答えが目の前に現れてくれることもある。だけど、恋は違う。自分でぶつかって、当たって砕けろ精神でいかないと解決しない。相手の子が気を遣って、俺のこと好きだろ、なんて言い出すわけがないんだから。
 大丈夫。いける、大丈夫。
「輝月〜、家庭教師くん来てるよ?」
 時間、大丈夫なの? ああ、そう。帰りは送って行かせるからね、と会話がかすかに聞こえる。
 え?
 今日は正面から来たの?
 軽く髪の毛を梳き、服を整える。ふっと大きく息を吐き出して、気持ちを落ち着けると、はぁいと翔琉を迎えに行く。
「輝月。最終日でしょ、どうせならね」
 最終日ということもあってか、心なしか緊張した顔で駆け寄ってくる翔琉を、輝月は部屋へと誘う。
「ちょっと大事な話があって。いい?」
「え? うん。いいよ。っと、待ってね。千、と」
 カレンダーに赤でそう書き込んでから、輝月と向き合う。
「あの」
 息を大きく吸い込んで、輝月は話し始めた。
「私は、言い訳ばかりで、逃げてばかりで」
 八宵からも、ひいては月への帰郷からも。
「その度に翔琉に助けてもらって」
 自分がいじめられる理由がわかって、黒幕・・・・・・は大袈裟だけど、まあ操っていた人も知れて。
「自分勝手で」
 でもその頃にはもう、月へ帰ることが嫌だ、という気持ちよりも地上に住みたい、という気持ちの方が強くなっていた。
「大して可愛くもないし、口も悪いし、強がってばかりだし」
 たくさん翔琉の邪魔をして、結局翔琉の将来まで阻んでしまった。
「でも」
 私は、そんなに迷惑をかけたのに。
「翔琉」
 ごめんね。この気持ちは、どうしても消せなかった。
「翔琉が好き」
 自分勝手な思いで、ごめん。
 翔琉がゆっくり目を見開いた。
「翔琉が、好きなの」
 ごめんね、翔琉。本当に、ごめん。
「それと、もう一つ。私は、約束を破るけど、月には戻りません。・・・・・・ごめん」
 声に出して、深く頭を下げた。
「ここでやりたいことを見つけたの」
「なに?」
 かすかにかすれているけど、柔らかい声だ。なにをやりたいの?
「・・・・・・映画を、翔琉が好きな映画を作りたい」
「そっか」
 さすがに怒られるかな。
 でも、胸は、つっかえていたものが消えて、世界を一気に平和に変えるような、暖かく快い風が通り抜けたように清々しかった。
「サイコーじゃん!」
 顔を上げ、歯を見せて笑う翔琉に、輝月は拍子抜けする。
「へっ?」
 怒ってない。悲しんでない。ただ楽しそうで、ひたすら喜んでくれているように見える。
「いいことだよ。いつか輝月の作った映画、見てみたい。・・・・・・じゃあ、俺は帰る」
 翔琉が、あっさり部屋を出た。お別れは、こんなにあっさりしていた。
 ドアに消える後ろ姿を眺めて、くっと拳を握る。
 バイバイ、翔琉。三年間ありがとう、そしてごめんね。迷惑ばかりかけて。
 でも、とてもーー楽しかった。
 階下で、家庭教師くんはもう帰ったの? 輝月? と、怪訝そうな養母の声が響いた。