「ねえ、輝月さあ、最近なんか悩んでる?」
 いきなり向日葵に聞かれて、輝月は目を瞬いた。心当たりはない。進路の問題は、この前に糸口を見つけ、すっかり片付いたところ。
「ん? そんなことないけど」
 映画を作りたい、と、そんな気持ちは、翔琉がいないと芽生えなかったと思う。
 ふと、差し込むように将来に不安を抱くこともある。そんなときは、背中を押してくれるようにふわりとあのポップコーンの匂いが鼻先に漂う。
「でも、なんかもやもやしてるんじゃない?」
 早いもので、いつの間にか年を越し、バレンタインも過ぎてあと一ヶ月で、高校二年生は終了する。
「えぇ? なにがもやもやするわけ?」
 今日、朝日と向日葵はそれぞれ面談で先生にとられ、先に帰路についた輝月と向日葵は、ゆるゆると歩く。
「さあ・・・・・・あたしは向日葵で、輝月じゃないからわからないけど。最近元気ないじゃん」
 百夜通いの真似事、千夜通いを初めて二年弱。
「マジ? 自覚ないわ」
 月との連絡が絶えてなお、かすかな希望の蔓にすがるように細々と、翔琉は通ってきていた。が、それもあと一年で終わりを告げる。
「まあ、だろうね。そういうのって、意外と自分ではわからないものだから」
 卑怯は承知で、千夜通いを終えても、悪いけど輝月はなんだかんだ言って帰らないと思うし、そうしようと思っていた。
「ふぅん。なにに悩んでるんだろね、私」
 ズルい。姑息だ。わかってる。知ってる。わかった上で、そうする。だけど、なぜだか翔琉にもう来るなと突っぱねることはできなかった。
「ねえ、今日輝月ん家行ってもいい? 勉強教えて」
「ん、わかった」
 ちょうど輝月の家の前に立った向日葵の提案に、自責をやめてうなずく。ちょっと片付けとかなきゃと、一足先に部屋に上がったら、ちんまりと翔琉がいた。
「ええええっ・・・・・・! なんでいるの⁉︎」
 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って。
 予想外なんだけど。いや、別にいいよ? お早めに通ってくるのは構わないけどさ。けど、今日は例外! 聞いてないぃぃいっ!
「え? いや、今日はなんとなく早く・・・・・・っ、うわっ、なになになに」
「ちょっと外出てて、ああ、違う、ええ、どこがいいの? ダメ、今日はマジで」
 外に押し出そうとしてから、向日葵と鉢合わせすると右往左往してしまう。そうこうしているうちに足音が廊下から聞こえてきた。
 ヤバいヤバいヤバいヤバい、バレる! ドアノブが、小さく音を立てて回る。うわぁあ、いやだっ!
 輝月の健闘虚しく。
「おっ・・・・・・えーっと、月野くん」
 捨て鉢になった輝月の背中に隠された翔琉が、なんの冗談かひょこっと顔をのぞかせ、あっさり自分から見つかった。
「あ、どうも」
 なにをしてんのーっ! ちょっと、え? 気が狂った? 精神科医のお世話になる?
「やっ、向日葵、これはぁ、違う、そういうんじゃなくて」
 へどもどと今から言い訳を考える輝月に、向日葵は呆れたように、でもなぜか面白そうに言った。
「なんで隠そうとするの? いいじゃん。先客?」
「うん、なんだけど。お邪魔みたいだし、また改めて来る」
 翔琉はそう言って背を向け、部屋から出ていく。
「あのね、向日葵、これはそういうことじゃなくて」
「じ・い・し・き・か・じょ〜。別にあたしは輝月が誰と付き合いがあってもからかうつもりも咎めるつもりもないよ」
 咎めるなんて、難しい言葉を使うなぁ。付き合いってなんか語弊あるし。大体、自意識過剰ってなんだよ!
「自意識過剰は、自分大好き星人か、恋してる子。ふんふんふん。で、輝月は後者、と」
 あ〜、完全に遊ばれてる。さっきからかわないって言ったくせに、ウソついた。
「オッケ、呑み込んだ。じゃ、恋愛マスター向日葵が、初心者輝月にテクニックを伝授してあげる」
 呑み込まないでよぉ・・・・・・。
 輝月は見事に向日葵のペースに呑み込まれ、がっくりとうなだれた。
「もう・・・・・・」
「ずばり、聞くけど。月野くんのこと、好き?」
「別に、好きなわけじゃ」
 ほらぁ、もう。ね? でしょ? こうなるじゃん!
「好きでしょ?」
 強い言葉を被せられて、輝月の頑なだった気持ちが緩む。
「好き・・・・・・なの、かなぁ。かもしれない」
「えぇ? その反応だと、恋したことないの? わかんないの? ウソでしょ? ガチ初心者?」
「じ・・・・・・、実は、そうなんだよね」
 孤児院ではほとんど男子と話す余裕がなかったし、地上に降りてから関わった男は養父と翔琉のみだし。こくっと素直にうなずくと、向日葵はますます驚く。
「ええええ! もったいない」
「もったいない?」
 もったいないって、なにが。予想外の言葉が飛び出してきて、輝月は聞き返した。
「恋こそ女子の道じゃん。輝月、めちゃくちゃカワイイのに。絶対人生ソンしてる」
 人生ソンって。そんなに?
「じゃ、向日葵は、好きな人いるの?」
「いるよ。でも、振り向いてくれない。あ、ちなみに月野くんじゃないから安心して?」
 初めて聞いた。・・・・・・なんてそんなこと言ったら、この前みたいに、当たり前だよ言ってないもんって返されてしまうから、口は閉ざしておく。
「だから、さっさと諦めて自分を好きだって言ってくれる人を大切にしようかなあって」
 告白してくれた子のことか。
「でも、本命は諦めたくない。うん、それがあたしの恋だね」
「向日葵の、恋?」
 うん、と向日葵は小さく微笑んでうなずく。いつもの、ちょっと違う次元から物事を言う向日葵ではなく、一人の女子としての寂しげな表情。
 違う一面を目の当たりにして、輝月は少しだけ、驚いた。
「恋は人それぞれだからね。片想い、両想い、重たい恋、軽い恋。メンヘラちゃんもいるし、ツンデレくんもいる。相手に無頓着な人や、連絡を一日一回しないと気が済まない人もいる」
 指を折り折り向日葵は言った。
「それも、全部がその人の恋なんだよ。輝月の恋は?」
 問いかけに、輝月は考えた。
 私は翔琉が好き。そこまでは、腑に落ちる。そっか。恋ってこういうのなんだ。
 でも。
 私に、月へ帰るつもりはない。対して、翔琉は留学中。連絡手段が遮断されているとはいえ、あと一年で・・・・・・あと一年で、帰ってしまう。
「片想い・・・・・・で、絶対両想いになり得ないし付き合えもしない恋かな」
 言いながら、絶望的だと思う。さすがに、自称恋愛マスターの向日葵も救いようがないでしょ。さっさとこの話は終わらせて、勉強しなきゃ。受験の年が迫ってるんだからさ。
 ちらりと向日葵を見ると、らしくなく、でも案の定厳しい表情でこっちを見ていた。
「輝月」
「うん?」
 真剣そのもののその声音に、ちょっと驚く。
「絶対なんて、可能性を自分で封じちゃダメ」
「え?」
「恋に絶対はない。よしっ、なんか燃えてきた。絶対振り向かせてやるぅ!」
 えええ・・・・・・いや向日葵、絶対って言っちゃってるし。ガッツポーズを決めて宣言する向日葵を呆れ顔で見つめる。矛盾してるよ。
 それでも。
 恋に絶対はない、か。いいこと言うなあ。やるじゃん、恋愛マスター・向日葵。