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 ど、どうしよう。
 輝月は重く響いてくる鼓動をなんとか収めようと、胸を上から押さえる。
「大丈夫」
 翔琉が落ち着いた声で言ってくれる。
 でも、この場所も、これから起こることも、ぜーんぶ込みで恐ろしい。
「翔琉はここが実家だからいいんだろうけどさ、私、帝がいらっしゃる? ところに来る・・・・・・えっと、お招きされる? のは初めてだから」
 現・帝に対する言葉遣いがわからなくてあわあわと言う。
 地上でも滅多に見ない、立派な門から伸びる道。その脇には、基本温度差が少ないここでは年中使う、しゅわっと時折噴き出す噴水を備えたプールや、そしてあちこちに色とりどりの花が咲き乱れ、地上でさえ高級な車は何台あるのかわかんないし、もう、なにがなんだか。
 二人がいる、純和風のひっそりと佇む東屋は、比較的門に近い方にあった。ここで八宵と待ち合わせをしているのだという。
「大丈夫だって。ほぼ外だし。そこを出ればもうバス停じゃん? バス、三十分後だからね。ちゃちゃっと終わらせよう」
 実家であるため場所に対する不安がないせいか、いくらか輝月より顔の強張りはマシだけど、それでもやっぱり緊張が見えた。
 今日、八宵たち家族が帝の食事会に呼ばれているらしく、厄介な取り巻きたちはいないから、と翔琉がこの場をセッティングしてくれた。
 八宵はそろそろ食べ終わってお手伝いさんに呼び出された頃だろうから、もうすぐ来るはず。もう、さっきから心臓がはち切れんばかりに暴れて辛い。お腹も重くなってきた。
 と、ついに、そのときが来た。翔琉がこそっと耳に囁く。
「来たぞ」
 清楚なワンピースで着飾った八宵が東屋に近づいてくる。そして、輝月に気づいて目を剥いた。
「なにか御用・・・・・・っ、なんであんたがここに!」
「やっ、八宵、あの・・・・・・今日は、話がしたくて」
「なんの話? 早くしてほしいんだけど」
 早速つんけん言われる。ここでごちゃごちゃ、翔琉がいることについての言い訳などを並べるのはダメだろう。そう思った輝月は、いきなり本題に入った。
「なんで私だけをあんなにいじめてたのか、ってだけ聞きたくて」
 えっ、と八宵は小さく声をもらして、狼狽えているようだった。でもすぐに我に返り、いつもの口調で聞き返す。
「それ、聞きたいわけ?」
 以前の輝月ならきっと、逃げ出していた。たぶん八宵もそれを見越して言った。コイツなら逃げ出すでしょ、どうせ。今ならまだ間に合うよ? どうする? 早く帰りな。
 目が威嚇してくるもん。絶対そう思ってるでしょ。
 でも、今は違う。腹ならとっくにくくった。大丈夫。横には翔琉がいる。
「うん・・・・・・知りたい」
 また、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってから、狐につままれたようになり、ようやく我を取り戻してふっと鼻で笑う。
「なに言ってるの? そんなの教えるわけないじゃない」
「八宵」
 それまで息をひそめてなりゆきを見ていた翔琉が、いきなり声を出した。
「なんであなたが、ここに・・・・・・」
 またさっきと同じようなセリフを吐いて、八宵が身を引いた。どちらかといえば、その目には、驚きよりも、憎しみや悲しみがあふれだしていた。
 ああ、やっぱりなにか、この二人の間にはあるんだと感じてしまう。
「やっぱり!」
 いきなり八宵が金切り声を上げた。やっぱり? え?
「やっぱりそうじゃない、この前は偶然じゃなかったのね、ひどい。母が母なら子も子だわね」
「えっと、それは、どういう・・・・・・?」
 この前は偶然じゃなかった。母が母なら子も子。
「私のお母さんと、なにかあったの?」
 観念したように、八宵が口を開いた。
「・・・・・・が、あんたと姉妹だっていうから」
 最初の方の名前は、輝月には聞き取れなかったが、翔琉がだろうなという顔をしたので、ちゃんと聞こえていたらしい。その上で、知ってる人物で、さらに心当たりがあったみたいだ。
 じゃなくて、え? どういうこと?
「姉妹・・・・・・って、私と、八宵が?」
「お父さんの昔の女が産んだって。だからっ」
 小さくうなずいて、八宵は衝撃的なことを口にした。
 は?
「シンデレラ・・・・・・」
 翔琉が小さくつぶやく。いや、かぐや姫に続いてシンデレラって、おい。メルヘン光源氏! 冗談じゃない。
 あの人みたいに継母にいじめられてないし、細かいとこつつくんなら継母じゃなくて養母だし、継母なら父が再婚した女の人のことだし。いや、異母姉にいじめられてるのは間違ってないか。
 てか違う、え?
「ちょっと、待って。私と、八宵が?」
「それにあんた、カケルくんと浮気したじゃない」
 続けて、そう言い切った。んん?
 浮気ぃ?
「だから・・・・・・、だから、追い出してやろうと思って」
 八宵が泣いてる。本当にかすかだけど、目の縁に涙がたまっているのに、輝月は気づいた。
「待って、すごい勘違い」
 ていうか、八宵が付き合い始めたって噂は本当で、しかも相手は翔琉、そのおかげで一時期いじめが止んでいたんだ。偶然・・・・・・だよね。
「八宵、聞いて。私と翔琉は、付き合ってないよ?」
「え?」
 誰から聞いたの、その偽情報。そのせいで私は苦しんだ。今でも悔しい。だけど、八宵だって苦しかったんだ。わかる。かわいそうだと思うし、同情もする。
 でも、私をいじめるのは違うくない? それはちょっと身勝手すぎやしない?
「まあでも、もう月には帰ってくるつもりないから。確かにときどき来てるけど、八宵がそんなに言うなら、それもそろそろ止めるね。縁、きっぱり切った方がたぶんいいよね」
 『人助け』に励む翔琉には悪いけどさ。
 少しいらだった輝月は、勢いに任せすぱりと言い切った。
「本当に、いいんだね?」
 おっとぉ?
 新しい登場人物の出現に、輝月は振り向いた。
 東屋の奥の茂みから、一人の男子が立ち上がるところだった。カッコつけた言い方だしシチュエーションもいいけど、立ち上がるタイミングは遅いわ襟足の長い髪にはあちこちに葉っぱがくっついているわで、正直笑える。
 月では珍しく、金髪だ。莫大な料金を払い、取り寄せて染めたんだろう。うん、カッコつけたがりだって一瞬でわかったよ。
 歳は輝月たちと同じくらい。結構顔立ちは整っているけど、にやりと歪んだ意地の悪い口元がそれを台無しにしている。
「てか、え、誰?」
 ぽかーんと口を開けてその男子を凝視する輝月に対して、八宵と翔琉はすぐに反応した。八宵は驚いたようにその名を呼び、翔琉は最初目を見張ったけど、そのあとすぐに面倒なことになったと憂いを含む顔でため息をつく。
翔馬(しょうま)さん」
「翔馬・・・・・・やっぱりお前か」
 やっぱり、ということは、前もごもご言ってた翔琉の心当たりはこのことだったのだ。
「うん。で、『今かぐや姫』さん。いいんだよね? 月、帰らなくても」
「は? 別にいいけど」
 なにコイツ。翔馬? 初めて聞くんですけど。てか『今かぐや姫』って、忘れろよっ。
 不躾な言い方にいらっとする。普通だったらビビるけど、今は生憎腹が据わっている。動じることなく睨み返してやった。
「よし。じゃあ、そろそろバスの時間でしょ? 一日一本だから行きな」
 あれ? 普通にいいやつだった? がらがらと派手な音を立てて門まで連れて行かれ、思わず拍子抜けする。なにかを諦めたようにされるがままになる翔琉は少し、気にかかるけど。
「本当に、もう帰ってこなくていいんだね?」
 うわ、しつこい。こういう人嫌いかも。またまたむっとしつつうなずく。
「八宵と姉妹だった、っていうのが嘘だとしても、だよね」
 かすかなエンジン音を鳴らしながら、月の都行きと書かれたバスが、すぐ前のバス停に停車した。
「は?」
「じゃーね」
 嘘?
 ぱっと振り向いた輝月の前で、大きな御殿はもう、がしゃんとその口を閉じたところだった。輝月は食ってかかる。
「ちょっと、ねえ、あんた! ・・・・・・翔琉! なに、どういうことなの、あれは誰? なにが起きてるの?」
 だけど、もう中からの返事はない。
 頼みの綱である翔琉はすいっと目をそらした。自身を落ち着けるように大きく息を吸ってから、ごめん、と頭を下げられる。
「全部話す。ひとまず、帰ろう」