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「そう。そのメンバーと勉強会するの。だから、結構遅めに来てもらいたいんだ」
「わかった。ていうか、姫。来るのはいいんだね?」
 翔琉が憎らしく言うので、輝月は、帰る気は毛頭ないくせに、つんとそっぽを向いて言い返してやる。
「来ないなら、月に帰る話はもうたち消えだね」
「いやっ、ウソウソ。ごめんって」
 慌てまくる翔琉。やっぱり、変だよね。胸にわだかまり続けていた疑問が、またぞろ動き出す。今なら答えてくれるかな。ガラスの扉、内側から開けてくれるかな。
「ねえ、なんでそんなに私を帰したいの?」
「それは・・・・・・っじゃなくて。人助けって言ったでしょ。あぁ〜、気持ちいいんだよなぁ。人助け」
 まだダメか。バレバレな言い訳を聞き流して、内心でため息をついた。人助けでこんなに親身になれるなんてよっぽどだもん。モテモテだった光源氏でもしないでしょ。絶対に、なにか別の理由があるはず。
「ねえ姫、今度さ、また月に帰ろうよ」
「え、またぁ?」
 この前は翔琉がホームシックになっているのではと気遣って帰郷したけど。
「嫌だ」
 今回は、帰る理由がない。前回の気遣いも勘違いで意味なかったし。またばったり八宵と会ったら最悪だから、嫌だ。
「なんで。前はいいよって、しかも自分から帰るって言ったのに」
「だから、それはぁ・・・・・・」
 え、気遣いに気付いてない? いいんだけどさぁ。ムカつく。かといって気を遣ってやったんだよって自分からネタバラシするほど私、心が冷たくはないんで。
「お金すごいことになるじゃん」
「大丈夫だって、金銭面の話なら。もう、変なとこに気、遣わないで」
 こっちがどこに気を遣ってるか知らないくせに、この野郎。なにを・・・・・・っと危ない。なんでもないです。
 めちゃくちゃに荒れかけた心を押し隠し、なんとかこの申し出を断らなければ、と思案顔を作る。しかし、いい理由が思いつかず、曖昧さを押し切ったような、なんとも煮え切らない表現になってしまった。
「いや、他にもあるの!」
「あ・・・・・・そうだったな。ごめん、忘れてた。八宵だ。またいじめられるのが怖いんだな?」
 根本の原因が八宵だということを思い出したらしい。
 そんな過激な理由じゃなく、他のことで断りたかったんだけどなー・・・・・・八宵の話をしたとき、結構翔琉ショック受けてたから気を遣ってやってたのに。鈍いにも程があるってものでしょ。
 うなだれるようにうなずいて、輝月はふと疑問に思った。あれ? 翔琉の前で私、八宵って単語、口にしたっけかな。
「そうか」
 急に沈んだ声を出して、翔琉は返事をした。
 あ〜あ、ほらね? 凹んだ。でもまあ、これで月に帰ろうとは言ってこないでしょう。不本意ながら、ひとまずよしとする。
「でも、姫」
「ん?」
「原因、わからないんだろ? ちょっと気にならないか」
「気にはなるけど」
 でも、別に、知らなくていい。私がなにをしたかも、私の立場がどんなものかも。
「なんでいきなりそんなこと言うの?」
「実は心当たり・・・・・・じゃなくて、ううん。聞きに帰ろう。月に」
 なに言ってるの、この人。
「はっ? いや、嫌だよ。いいもん、知らなくて。じゃあね、バイバイさよなら」
 問答無用で、ぐいぐい窓の方に押しやる。
「えっ、ちょ、姫?」
 がらっと窓を開けて、半ば追い出すようにして外へと押す。下は屋根だから、すぐには落ちないはずだ。遮断するように、勢いよく窓を閉めた。
「姫?」
 くぐもった声が聞こえてきて、輝月は顔を背ける。
「姫っ、逃げるな!」
 逃げちゃダメだ、ちゃんと理由を教えてもらおう。輝月がなにをしたかも、輝月の立場がどんなものかも。
 知っている。私は、逃げた。逃げ出した。逃げて、失敗して、それでも逃げる。
 情けなくても、人間としてダメダメでも、それでもあの狂気の裏に、どんな忌まわしい理由が引っ付いているのか、それは知りたくなかった。
 怖いのに。触れたら怪我をすると知っているのに。なぜ立ち向かわなければならないの?
 火に自ら入っていくのは夏の虫だけで十分だ。
「一緒に、行くから。一緒に、八宵に立ち向かうから」
 だから姫、帰ろう──。
 ガラス越しの籠った声が、輝月の部屋に響いていた。