コンコン、と控えめなノックの音が聞こえる。
「・・・・・・全く、このところ来客が多くて困るな」
鍵がかかっているわけでもないのに、と思ったが、そういえば結界を貼っていたので入れなくなっていたのだった。
途中から再現どころではなくなっていたが。
修一郎が怠そうに結界を解き、扉を開ける。
待っていたのは、一人の上官だ。
生真面目そうな眼鏡のこの男性には見覚えがある。
雛子が書庫室へ配属されることになったのを問答無用で告げてきた人だ。
たくさん書類を抱えていて、その中から一枚の紙を修一郎に渡す。
「綾代さん、これ、前回の報告書についてですが・・・・・・先日あなたが破壊した建物が、少々問題になりまして」
「破壊?」
なんだか不穏な言葉が聞こえたような。
「後で行く。気にするな、いつもの事だ」
「それより、あなた方はどうして結界なんて貼ってたんですか。びっくりしましたよ。ここは機関内です、そんなことする必要ないでしょうに。中で何してたんですか」
「少なくとも、貴殿が考えているようなものではないな」
フッと鼻で笑う。
実際はそういうことをしていたくせに。
眼鏡の彼はやれやれと呆れたように肩を竦めた。
「まあいいですけど・・・・・・。そうだ、乙村さん。これ、兄君からお手紙が来ていましたよ」
「え・・・・・・?」
差し出された薄い封筒を受け取る。
わざわざ届けに来てくれたのだろうか。
しかし、雛子にとって兄からの手紙など青天の霹靂に等しいものだ。
「君の兄は古都にいるんだったか」
「は、はい。でも、兄さんが私に手紙なんて珍しい・・・・・・」
滅多にないことだ。
一体手紙には何が書いてあるのか、皆目見当もつかない。
「そうだ、古都といえば、あちらの方では御守りの中に呪符を仕込んで女子に売りつける事件が多発しているそうですよ。あなた、すぐ騙されそうですから気をつけて下さいね」
「そ、そんなに阿呆そうに見えますかね・・・・・・」
びしっと釘を刺すように言われてしまった。
確かに怖い事件だ。
雛子も、自分でも騙されてしまいそうだと納得してしまった。
だが古都へ行く機会はなさそうだから今はそこまで怯える必要はなさそうだが。
「そんなに珍しいのか?」
「はい。兄さんは私のことが嫌いなんですよ。だから、わざわざ手紙なんて不思議で・・・・・・」
苦笑いしながら、手紙を開いてみる。
『今年の盆は帰らない』
筆圧の強い文字で、一言。
「うわあ」
思わず声が出た。
なんだと身構えていたが、ただの業務連絡だったとは。
そういえば前回帰省した時に父親と激しく言い争っていたのを見かけた。
怖くて近寄れなかったが、この文面を見る限り未だに仲直りしていないようだった。
おそらく、帰省しないことを父に伝えるのが嫌で、一番当たり障りのない雛子を選んだのだろう。
日頃は無視しているくせに、こういう時だけ都合のいい人だ。
「君は、兄に憧れているのではなかったのか」
「はい、憧れてますよ。いえ、憧れてはいるのですが、家族仲そのものが良くないのですよ。私の母は後妻でして、連れ子だった私は当主様とも兄とも血が繋がっていないのです」
雛子が祓い師を志したのは、兄への憧れが最大の要因だ。
そんな雛子が兄と不仲なのは不思議なことだろうが、それは全て両親の事情にあった。
「兄はそんな私が気に食わないようで、子供の頃から冷たくされてきました。ですが、乙村家の子として祓い師を志すようになってから、兄がいかに素晴らしい祓い師なのかを身をもって学ぶことになりまして。最初は、同じ目線に立てばあの人の考えてることが分かるんじゃないかって気持ちだったんですれけど、あんな天才の考えてることなんて到底理解できそうもないですよ」
兄を知れば知るほどに、彼の恐ろしさを学ぶことになる。
奇妙なことだろうが、どれほど嫌われているとはいえ、祓い師として雛子が到底たどり着けないような境地にいるあの人に、強い憧れを抱かずにはいられないのだ。
「そういう事だったのか。兄が古都で活躍しているのに、わざわざ帝都で地道に経歴をつくろうとするのは不思議だと思っていたが・・・・・・」
普通、身内に有能な祓い師がいるのであれば人脈を使って良い地位に最初から立とうと考える者がほとんどだろう。
だが、雛子はそれをしなかったし、おそらくそれは兄が絶対に許さない。
「まあ、祓い師としては憧れですし尊敬できる人ですが、兄としてはありえないってところでしょうか。あの人ももういい歳なのに、いつまでも意地悪ばかりで。こないだなんて、私に祓い師なんか向いてないからさっさと辞めろ、なんて酷いこといってきたんですよぉ・・・・・・」
思わず愚痴を言ってしまった。
普段何を言われても気にならなかったが、あれだけは堪えたのだ。
気持ちは焦る一方なのに、結果を出せない日々が続いていたのもあるが、兄に言われてしまうと本当に向いていないのでは無いかと思い混んでしまうから。
「なんて、こんな話しちゃってごめんなさい・・・・・・」
声が震えてしまう。
本当は、こんな話するつもりじゃなかったのに。
「そんなことはないぞ。君は祓い師に向いている。もっと自信を持つといい」
俯いていた顔を上げる。
飛び込んできたのは、自信満々に笑う修一郎だった。
「兄のことも直ぐに追い越せるさ。夜叉である俺が保証するんだ、安心しろ」
「・・・・・・はい!」
目の奥が熱くなって、じわりと涙が滲む。
こんな風に肯定してもらえるだけで、なんだってできそうなぐらいに力が漲るようだった。
「泣いてもいいぞ。見られたくないんだったら、見ないでやるから」
その言葉と共に、修一郎の体が雛子に近づき、包み込むように抱き締められた。
こうすれば見えない、ということなのだろう。
「ありがとう、ございます・・・・・・」
温かな体温が心地よい。
心がすぅっと落ち着くように、穏やかになっていく。
修一郎に包まれながらしばらくそうしていると、涙が彼の制服についてはいけないと手巾を取り出す。
「ん・・・・・・。もういいのか?」
ゆっくりと修一郎の体から離れていくと、彼は名残惜しそうにしていた。
「だ、大丈夫ですよ」
「そうか」
雛子の髪を優しく撫でる。
人前で泣いたのなんて、いつぶりだろうか。
涙を拭って手巾を仕舞おうとすると、その拍子に何か裾から落ちた。
「あれ・・・・・・」
落ちたのは三津島から貰ったお守りだった。
これも雛子を常日頃支えてくれる大切なものだ。
そっと拾い上げる。
その時、雛子はあることに気づいた。
普段は察しの悪い頭も、修一郎がいてくれるおかげで冴えているのだろうか。
「これは、まさか・・・・・・」
修一郎の、既に答えを得ているという言葉。
「ようやく『それ』に気づいたか。さすがだな、上出来だぞ」
にやり。
目前では、鬼がいたずらっぽく笑っていた。
「・・・・・・全く、このところ来客が多くて困るな」
鍵がかかっているわけでもないのに、と思ったが、そういえば結界を貼っていたので入れなくなっていたのだった。
途中から再現どころではなくなっていたが。
修一郎が怠そうに結界を解き、扉を開ける。
待っていたのは、一人の上官だ。
生真面目そうな眼鏡のこの男性には見覚えがある。
雛子が書庫室へ配属されることになったのを問答無用で告げてきた人だ。
たくさん書類を抱えていて、その中から一枚の紙を修一郎に渡す。
「綾代さん、これ、前回の報告書についてですが・・・・・・先日あなたが破壊した建物が、少々問題になりまして」
「破壊?」
なんだか不穏な言葉が聞こえたような。
「後で行く。気にするな、いつもの事だ」
「それより、あなた方はどうして結界なんて貼ってたんですか。びっくりしましたよ。ここは機関内です、そんなことする必要ないでしょうに。中で何してたんですか」
「少なくとも、貴殿が考えているようなものではないな」
フッと鼻で笑う。
実際はそういうことをしていたくせに。
眼鏡の彼はやれやれと呆れたように肩を竦めた。
「まあいいですけど・・・・・・。そうだ、乙村さん。これ、兄君からお手紙が来ていましたよ」
「え・・・・・・?」
差し出された薄い封筒を受け取る。
わざわざ届けに来てくれたのだろうか。
しかし、雛子にとって兄からの手紙など青天の霹靂に等しいものだ。
「君の兄は古都にいるんだったか」
「は、はい。でも、兄さんが私に手紙なんて珍しい・・・・・・」
滅多にないことだ。
一体手紙には何が書いてあるのか、皆目見当もつかない。
「そうだ、古都といえば、あちらの方では御守りの中に呪符を仕込んで女子に売りつける事件が多発しているそうですよ。あなた、すぐ騙されそうですから気をつけて下さいね」
「そ、そんなに阿呆そうに見えますかね・・・・・・」
びしっと釘を刺すように言われてしまった。
確かに怖い事件だ。
雛子も、自分でも騙されてしまいそうだと納得してしまった。
だが古都へ行く機会はなさそうだから今はそこまで怯える必要はなさそうだが。
「そんなに珍しいのか?」
「はい。兄さんは私のことが嫌いなんですよ。だから、わざわざ手紙なんて不思議で・・・・・・」
苦笑いしながら、手紙を開いてみる。
『今年の盆は帰らない』
筆圧の強い文字で、一言。
「うわあ」
思わず声が出た。
なんだと身構えていたが、ただの業務連絡だったとは。
そういえば前回帰省した時に父親と激しく言い争っていたのを見かけた。
怖くて近寄れなかったが、この文面を見る限り未だに仲直りしていないようだった。
おそらく、帰省しないことを父に伝えるのが嫌で、一番当たり障りのない雛子を選んだのだろう。
日頃は無視しているくせに、こういう時だけ都合のいい人だ。
「君は、兄に憧れているのではなかったのか」
「はい、憧れてますよ。いえ、憧れてはいるのですが、家族仲そのものが良くないのですよ。私の母は後妻でして、連れ子だった私は当主様とも兄とも血が繋がっていないのです」
雛子が祓い師を志したのは、兄への憧れが最大の要因だ。
そんな雛子が兄と不仲なのは不思議なことだろうが、それは全て両親の事情にあった。
「兄はそんな私が気に食わないようで、子供の頃から冷たくされてきました。ですが、乙村家の子として祓い師を志すようになってから、兄がいかに素晴らしい祓い師なのかを身をもって学ぶことになりまして。最初は、同じ目線に立てばあの人の考えてることが分かるんじゃないかって気持ちだったんですれけど、あんな天才の考えてることなんて到底理解できそうもないですよ」
兄を知れば知るほどに、彼の恐ろしさを学ぶことになる。
奇妙なことだろうが、どれほど嫌われているとはいえ、祓い師として雛子が到底たどり着けないような境地にいるあの人に、強い憧れを抱かずにはいられないのだ。
「そういう事だったのか。兄が古都で活躍しているのに、わざわざ帝都で地道に経歴をつくろうとするのは不思議だと思っていたが・・・・・・」
普通、身内に有能な祓い師がいるのであれば人脈を使って良い地位に最初から立とうと考える者がほとんどだろう。
だが、雛子はそれをしなかったし、おそらくそれは兄が絶対に許さない。
「まあ、祓い師としては憧れですし尊敬できる人ですが、兄としてはありえないってところでしょうか。あの人ももういい歳なのに、いつまでも意地悪ばかりで。こないだなんて、私に祓い師なんか向いてないからさっさと辞めろ、なんて酷いこといってきたんですよぉ・・・・・・」
思わず愚痴を言ってしまった。
普段何を言われても気にならなかったが、あれだけは堪えたのだ。
気持ちは焦る一方なのに、結果を出せない日々が続いていたのもあるが、兄に言われてしまうと本当に向いていないのでは無いかと思い混んでしまうから。
「なんて、こんな話しちゃってごめんなさい・・・・・・」
声が震えてしまう。
本当は、こんな話するつもりじゃなかったのに。
「そんなことはないぞ。君は祓い師に向いている。もっと自信を持つといい」
俯いていた顔を上げる。
飛び込んできたのは、自信満々に笑う修一郎だった。
「兄のことも直ぐに追い越せるさ。夜叉である俺が保証するんだ、安心しろ」
「・・・・・・はい!」
目の奥が熱くなって、じわりと涙が滲む。
こんな風に肯定してもらえるだけで、なんだってできそうなぐらいに力が漲るようだった。
「泣いてもいいぞ。見られたくないんだったら、見ないでやるから」
その言葉と共に、修一郎の体が雛子に近づき、包み込むように抱き締められた。
こうすれば見えない、ということなのだろう。
「ありがとう、ございます・・・・・・」
温かな体温が心地よい。
心がすぅっと落ち着くように、穏やかになっていく。
修一郎に包まれながらしばらくそうしていると、涙が彼の制服についてはいけないと手巾を取り出す。
「ん・・・・・・。もういいのか?」
ゆっくりと修一郎の体から離れていくと、彼は名残惜しそうにしていた。
「だ、大丈夫ですよ」
「そうか」
雛子の髪を優しく撫でる。
人前で泣いたのなんて、いつぶりだろうか。
涙を拭って手巾を仕舞おうとすると、その拍子に何か裾から落ちた。
「あれ・・・・・・」
落ちたのは三津島から貰ったお守りだった。
これも雛子を常日頃支えてくれる大切なものだ。
そっと拾い上げる。
その時、雛子はあることに気づいた。
普段は察しの悪い頭も、修一郎がいてくれるおかげで冴えているのだろうか。
「これは、まさか・・・・・・」
修一郎の、既に答えを得ているという言葉。
「ようやく『それ』に気づいたか。さすがだな、上出来だぞ」
にやり。
目前では、鬼がいたずらっぽく笑っていた。