「いや〜、もう春休み終わっちゃうよ。早いもんだなあ」
 ある朝、梨乃が、自身の勝利の証であるパンを頬張りながらひとりごちた。涼夏もそれにうなずき、真面目らしからぬ言葉を吐く。
「そうだねえ。あ〜、やだなぁ。学校めんどくさい」
 小夜は硬い声のまま、顔だけ作って「ですねぇ」と答えた。まるで上司に媚びへつらうサラリーマンだなあと自分が嫌になる。
 本当は嬉しいと感じているのに。この家にいる時間が短くなることに。それでもここは、唯一の居場所だ。たとえそれがどんなに狭くとも、針が生えていても。
 もうずっと忘れていた愛想笑いがぎこちなかったのか、涼夏が怪訝な顔をする。
「小夜ちゃん? 元気ない?」
「いや・・・・・・そんなことないですよ。春休み終わっちゃうなあって」
 急いで誤魔化す。
 そんな小夜をたいして疑うこともせず、梨乃が「ね〜。やだなあ。雅にとっても嫌な季節だろうなあ」とため息をついた。
 話が逸れたことに、小夜はひとまず安堵する。
「そうですね」
「もーっ、だから、敬語は禁止!」
「ごめんな・・・・・・ごめん」
 さも間違えたように言いかけて、偽の照れ笑いを浮かべる。梨乃は、いつものように「もう、可愛いんだから」と苦笑いで頭を撫でてくれた。
 もう敬語をなくすことについて努力は正直していない。名前は、極力呼ばないようにする。
 あと四年したら、元の暮らしに戻れる。高校二年生まで堪えるんだ、と。
 手早く食べ終わった小夜は、流しに食器を片付けて、階段に足をかけた。この前まではできる限りリビングダイニングにいるようにしていたけど、面倒になってやめちゃった。
 早く上に行こう・・・・・・、持ち上げかけた背中に、声がかかった。
「ねえ!」
 梨乃の声だった。無視するわけにもいかず、振り返る。
「なんですか?」
 敬語を口にしても、梨乃は突っ込まなかった。その代わりにちょっと眉をしかめて「ごめんね」と言った。
「え?」
「ちょっと・・・・・・押し付けすぎたよね。早く仲良くなりたかったし、なってほしかったんだけど」
 涼夏もまた立ち上がり「ごめんね」と謝罪を口にする。
「小夜ちゃんのペースで慣れていってくれればいいから」
「・・・・・・はい」
 小夜は、小さく返事をして、階段を上がっていく。
「とはいっても、絶対小夜はアクション起こさないよねー」
「え? なにかするつもり?」
 小夜の姿が消えてから発された梨乃の言葉に、涼夏がぎょっとした。涼夏は素直に、そのまま放っておくつもりだったのだろう。
 けれど。
「そんなのだめだよ。このままじゃ絶対、後悔するもん」
「そうだけど・・・・・・失敗したらなんにもならなくない?」
「やっといて損はないよ!」
 後悔するならなにかして後悔する方がいい。梨乃の座右の銘だ。心配性の涼夏に元気に答えて、思案を練り始めた。