部屋中に響く、騒音レベルのアラームの音で目を覚まし、今頭を巡っているのは何年前のことだろうとぼんやりした頭で考える。どこかの遊園地だったか、デパートだったか。よく覚えてないや。
 ぴょんぴょん波打つ髪をときほぐして、やっと見慣れない風景に目を瞬かせる。
 ああ、そうだ。今日からシェアハウスなんだっけ。
 小夜は手早く長年愛用しているパジャマを脱ぎ、ラフなパーカーに着替えて木目の綺麗な開戸を開けた。
 上下の差を感じにくいほどに開放感がある二階建ての一軒家。二階建てとはいえ、吹き抜けで二階は廊下と個室がロフトのようになっており、二階にいながら一階がのぞけてしまう。下がリビングダイニングキッチンなどなど共用スペースだ。
 五つ並んでいる部屋の二つほどからはまだ安らかな寝息が聞こえるので、できる限り足音を忍ばせ下に降りた。
 キッチンに一人、トントンと小気味良い音でネギを刻み、もう一人はリビングの、くの字型、いわゆるコーナーソファを占領してエンタメニュースを見ている。
 料理している方が涼夏(すずか)。黒縁丸眼鏡にボブの黒髪、落ち着いた色のワンピースに、エプロン。真面目を体現したような涼夏は、高校三年生、最年長だ。
 もう一人は梨乃(りの)。片手にスマホ、目はテレビ。このシェアハウスではリーダーとして信頼されている彼女は、小夜に一番親しく話しかけてくれる高校二年生。その短い髪は結構明るめに染めている。イマドキのお姉さん、という感じだ。最初に打ち解けられそうだな、と少し安心できる存在だった。
「おっ、小夜、おは。早起きだね」と、自分もなのに笑った。涼夏もその声に、動かしていた手を止めて、こっちを見た。
「あ、小夜ちゃん。おはよ」
「おはよ・・・・・・」
 初日、つまり昨日「敬語は禁止。呼び捨てでいいからね!」と梨乃にきっぱり言われていたはずなのに、さすがに歳上にタメ口は、と抵抗が「う、ございます」と口を動かす。
「あ、あ、ごめんなさ・・・・・・、ごめ、ごめん」
 あわあわと言い直して頭を下げると、すぐそこにあったダイニングテーブルの角にぶつけてしまう。
「痛ぁ」
「あははっ。漫画だね」
 梨乃が明るい笑い声をあげる。涼夏もちょっとびっくりした表情を浮かべながら微笑んだ。
「大丈夫だよ、慣れるから。ゆっくりでいいよ」
「あ、うん・・・・・・すず、涼夏」
 柔らかい言葉に、ちょっと吃りながらうなずいた。
「うんうん、いい調子」
「ところで小夜、朝食は和食だった? 洋食だった?」
「え・・・・・・? えっと、どっちも出ましたけど」
 突拍子もない質問に、一拍間を置いて答える。実家では、和洋気まぐれで出ていた。
「あ〜っ、よかった。一緒だあ。今日は、和食の日ね」
「あたしと涼夏がジャンケンするんだよ。で、あたしが勝ったら洋食」
「私が勝ったら和食なの」と、説明してくれた。ということは、今日は涼夏が勝ったのだろう。さすが、小さなところにも遊び心があふれている。
 小夜がなるほどと感心していると、騒々しく、もう一人の住人が降りてきた。
「あ、(こずえ)。おはよ」
 梨乃の爽やかな挨拶に答えることなく、高校一年生の梢は台所、涼夏の足元にある棚へ直行。高く結んだポニーテールが揺れる。涼夏は再び動かし始めていた手を止めて、梢を避けるべく片足を上げた。
「おっと。今日はなににするの?」
「ん〜、餅っ」
「もちぃ・・・・・・はさすがに置いてないよ」
 ぱちぱちと目を瞬いて、涼夏は梢に話しかける。
 独特な感性を持ち季節感が微妙にずれている梢は、この家の持ち主だ。この家はなんなのか、なぜこの家をシェアハウスにしようと思ったかは・・・・・・聞いていない。
「そうだよ。正月じゃあるまいし」
「え〜。じゃ、アヤに買いに行かせよ」
「アヤさんって確か、寝起き悪かったでしょ。大丈夫なの?」
 日常を共にしている者にだけできるテンポのいい会話に、小夜は所在なげにダイニングの隅に立つしかない。
「だいじょぶ。電話かけて叩き起こすし」
「いや、そういう問題じゃないと思うけどね・・・・・・」
 少しずれた回答に、梨乃が呆れたようにため息をつく。が、止めようとは思わないようだ。
 梢は手にしていたスマホで電話をかけ、しばらくしてから出た小さな声に、怒鳴っている。
「アヤ、餅買ってきて! ん? ああ、あのちっちゃいのがいっぱい入ってるやつ。そう、切り餅でいいから」
 それだけ叫んで、ぶちっと切ってしまった。
「あのう・・・・・・、アヤさんって?」
 勇気を出して聞いてみる。涼夏が「ん?」と振り向いた。
「ああ、昨日紹介してなかったっけ?」
「そうだよ、だって昨日は来なかったもん。そのうち来るから、待ってなよ」
 梨乃のサバサバした言葉に、それ以上問うこともできず、「あ、はい」と答えるしかなかった。
「今日も(みやび)ちゃんは、出て来れなさそう?」
「んん・・・・・・見てこようか?」
 涼夏が梨乃に向かってうなずいた。なんでも雅は中学生の頃からいじめられていたらしいのだ。人と関わることが苦手なようで、部屋から出てこれる日と出てこれない日があるそう。
「あ、じゃあ朝ごはんが和食だってことと、食べ終わったら小夜の歓迎会兼ミーティングしよってこと伝えといて」
「おっけ。出て来れそうになかったら、通話でいい?」
「うん。ありがと」
 気持ちがいいくらい、さくさくと話がまとまる。梨乃が軽やかに二階に上っていった。
 昨日初めてこの家に来たときも、雅は通話での参加だった。今日もか、と少し憂鬱になる。唯一の同い年、中学二年生の雅が顔を合わせられないなんて、年上ばかりのこの空間、不安でしかない。
「座って。はい、朝ごはん!」
 未成年しかいないこのシェアハウスで、家事係は涼夏。その腕は見事で、ほのかに湯気をあげる味噌汁と白ごはん、綺麗に焼かれた鮭が食欲をそそった。
「あ、いただきます」
 どうやら、涼夏と梨乃はもう食べ終わっているらしい。今日は春休み二日目だからか、家に流れる空気はゆっくりしている。
「無理っぽいや」
 梨乃が首を横に振りながらおりてきた。
「そっか〜。最近調子悪いね」
 困ったように眉尻を下げる。
 ちょうど食べ終わったくらいに、『アヤさん』が来たらしい。玄関がかちゃりと控えめに開いて、耳ざとく聞きつけた梢が飛び出していった。
「アヤ遅い!」
「そうそう売ってないですもん。今は春ですよ」
「売ってるでしょ。そんなこと言ったら、夏はショートケーキ食べられないじゃん」
 ショートケーキ・・・・・・? と少し彼女の意図が掴めなかったが、『アヤさん』は正確に理解したらしく「いちごはビニールハウスで栽培されてるじゃないですか。旬じゃないだけです」とため息まじりに説明した。
 なるほど、いちごの話か。
「いいですか? 餅は、ただひたすら季節感ブレブレなだけですよ。梢さまは、冬にアイスクリーム・・・・・・は普通に食べるな・・・・・・夏におでん、食べますか?」
「食べる。アイスも、おでんも」
「もう・・・・・・おかしいんですよ。梢さまが」
「変な顔された? お店の人に」
「思いっきり」
 梢の元気な笑い声が玄関に響いた。声から推測するに、アヤさんは、どうやら若い男性らしい。こっちに足音が近寄ってくる。
「あ、来たね、アヤさん」
 涼夏がその声に手元から目線を上げる。
「男の方なんで・・・・・・男の人なんだ、ね」
「そうそう」
 梨乃が、しどろもどろの小夜に、噴き出しながらうなずいた。
「アヤさん、おはよう。本家の方は大丈夫なの?」
 あとから聞いたのだけど、アヤさんは『本家』、いわゆる梢の実家のお手伝いさん見習いとして雇われていて、その手伝いの合間を縫ってこの家に面倒を見に来てくれているらしい。相当な資産家なんだろうか。
 ちらっとさりげなく『アヤさん』を見上げると、くしゃくしゃの寝癖が目に入った。
「はい、涼夏さん。朝早いので。あ、おはようございます。小夜さん」
 事前に小夜のことは聞いていたらしく、全く動揺せず親しげに笑いかけてくれる。二十代半ばほど。爆発した頭とは反対に、こざっぱりとした格好は好感が持てる。
「えっと」
「綾小路と申します」
「五十四歳」
 梢が付け足した。その内容よりなにより、梢に初めて話しかけられたことにほっとし、それから頭が混乱する。
 綾小路さん、五十四歳。ごじゅう、よん。
「・・・・・・ん? え?」
 どこから見てもそうは見えないけど。
 若作りってもんじゃない。やばいよこの差は。三十歳くらい違う。肌もすべすべのぴっちぴち。どんな化粧水使ってるんだろう、後で教えてもらおうかなぁ。
 そんなことを思いながらついまじまじと見つめると、アヤさんは苦笑いを浮かべ訂正した。
「二十四です」
「あっ、二十四歳、なんですね」
 そのままだった。若作りもへったくれもない。
「梢のお手伝いさん兼彼氏」
 梨乃がニヤニヤしながら補う。
「彼氏じゃない」
「そうだね、彼氏になりかけだね。正式な告白とお付き合いはしてないもんね?」
 涼夏も梨乃に乗っかってからかう。
「そんなんじゃない! 涼夏、早く餅焼いて!」
「ヤキモチは焼かないの?」
「つまんなっ」
 梢は梨乃の言葉をばっさり切り捨てて、椅子に座った。