ぐしゅ、と雅が鼻を啜り上げる。涼夏が、背中を撫でる手を止めて優しく声をかけた。
「落ち着いた?」
「うん・・・・・・ごめんね」
「いいよ。全然」
 涼夏が雅の頭を撫でる。歳なんか関係なく、まるで仲睦まじい親子を見ているようで、心が温かい気持ちで満たされる。
「このシェアハウスの存在を、ひょんなことで知って、逃げ場として設定してたんだよね。それで、荷物とかも両親に内緒でこっそり準備してて」
「え、じゃあ、黙って出てきたってこと?」
 梨乃の素っ頓狂な声に、雅はうなずく。
「うん。家出。だけどまあ、学校行ってたから一瞬で居場所バレて、今はなんやかんや言いながら生活費は出してくれてる」
「へぇ・・・・・・親御さんたち寂しがってないの?」
「大丈夫なんじゃない。妹いるし、どっちかっていうと妹の方が出来良くて愛されてるし」
 え・・・・・・。
 鼓動が嫌な感じに高鳴る。
「へえ、妹いるの!」
 どんどん嫌な方向に話が進んでいってる・・・・・・。どうしようもなく震える拳を、小夜は押さえつける。
 そんなの、思い出したくないのに。この子達といてたら、楽しくて忘れられてたのに。なんで掘り起こすの?
「まあまあ、外の家族のことは置いといて」
 小夜の曇った眉を知ってか知らずか、梢が軌道を修正してくれる。
「ま、そうだね。ていうかさ、梨乃ってなんでここ来たの?」
「ええ? それ、聞いちゃう?」
「あ、ごめん、触れてほしくなかっ、た・・・・・・?」
 涼夏が、熱いものに触れてしまったかのようにすぐに手を引っ込める。
 けれど、梨乃の顔は、怒っていたり悲しんでいたりはしていない。薄く笑みを浮かべて、まるで、わがままを言われて困ったなあという風情だ。
「いや、重い話になるからさ。嫌かなあって」
「嫌では・・・・・・ない、けど」
「あたしの人生は、後悔から始まったんだよ。家はひたすら貧しくて、よく生まれたねじゃなくて、一つ口が増えちゃったって感じ」
 さらりとこぼされた言葉に、なにも返せない。
「だから、早く家出てって独り立ちしなきゃって思ってたんだけど。まあ、高校に入学して一人暮らし始めようかなーってぼんやり思ってたときに、中学の後輩だった梢に誘われて、来た」
「・・・・・・すぐに決めたの?」
 家族から離れるなんて、すぐに決断できるものじゃなさそうだけど。かなり悩んだよとか言われると思ったのに、梨乃はうなずいた。
「うん。後悔のない生き方がしたくてね」
 埋め合わせのつもりだよと付け足した。
「だから、できる限り選択肢が増えるようにいろいろ挑戦してたんだよね」
「でも、選択肢がもともとなかったら後悔もないよね」
 梢がぼそっとつぶやく。
「そこまで頑張んなくてもよくない」
 虚をつかれたかのように、一瞬梨乃が黙った。
「・・・・・・え、梢の言葉のパワーって恐ろしいね」
「ほんとに」
 思わず梨乃の言葉に同意する。独特な感性のおかげか、空気を読まずにさらりと人の虚をつくようなことを言う。
 ふうっとため息をついた。
 梢。
 いつかその言葉の力で、私の醜い嫉妬にまみれたこの心の中を洗って欲しいな。