わらわを見つめながら、はあと心底呆れたため息を吐き出す。
「聞いた事がないぞ。裳着の前に脱出し、城下町にくり出そうなんて」
「お許し下さいませ、父上。けれど今は、私の裳着をやっている場合ではありませんでしょう」
 予め見つかった時に使おうと思っていた言い訳を口にすると。案の定、父上の「うむぅ、そうではあるがなぁ」と唸る様な声が聞こえた。
 今が契機だとばかりに、葛藤している父上に向かって言葉を重ねていく。
「第一でございますが。もう世間一般では、この年頃の裳着は終了しておりまする」
「うむぅ、しかし成人としてだな」
「証は己が心に刻めば良き事です。儀式だけ取り繕った所で、滑稽も良い所ではありませぬか」
「し、しかしだなぁ」
「聞けば父上。近々武田の軍勢が、またも美張に攻め入ろうとしているとか。織田も斎藤今川も今は大人しいですが、いつまた牙を向けるか分かりません。
 特に注意すべきは織田勢です。嫡男信長はとんでもないうつけ者と言う噂ですが、頭は切れるとの事ですし。うかうかしてはいられませぬ」
「分かっておる。民の事を考えれば、一刻も早く手を打たねばなるまい」
 父上は困惑に染まった顔をキッと引き締め直し、ごつごつとした武骨な手を髭に添えて撫でた。だが、すぐに父上はわらわを見て、再び困惑の色を見せる。
「いや、しかし。それとこれは、話が・・」
「同じです、父上!」
「まあ、今回は良いのではありませんか。朝久(ともひさ)様」
 鈴を転がす様な美しい声で、仲裁に入ったのは母上だった。
 母上を見ると、牡丹がふんだんにあしらわれた美しい打掛を羽織り、黄色の小袖をお召しになられていた。袖で口元を覆いクスッと上品に微笑む美しい所作に、我が母ながら惚れ惚れとしてしまう。
 父上は仲裁に入った母上を見て、「しかしだなぁ」と腕を組み、難色を示した。
「贅言をお許し下さいませ。しかし母として、私は言わねばならぬ事がありまする」
「構わぬ、申してみよ」
 父上が母上に発言を許可すると、母上は「かたじけのうございます」と頭を下げてから、わらわに向き直る。
「私は、この子の意思を尊重していきたいと思いまする。美張が小国ながらも落とされてないのは、この子のおかげでもあると思っておりますの。戦姫として謳われ、女ながらも戦に身を置くこの子には、せめてここでは自由と安寧をあげたいと思いまする。