忠兵衛に誘われて、鷹一郎と共に伊左衛門を訪れたのはその3日後だった。
土地区画整理によって新たに開発された商家の並ぶ一角を訪ねると、伊左衛門は確かにまるで骸骨で、そこそこ上品に見える青梅縞藍を身に纏い、総髪撫付の下のどんぐり眼で胡乱げにこちらを眺めた。
表の店をくぐり抜けると住居に繋がり、その奥の狭いスペースに小さな庭と池があった。伊左衛門の生業は質屋で、倉庫は別にあるらしい。そこに商材を納めて売り捌くのがその商い。
この御一新という革命は多くの興隆と没落をもたらした。落ちぶれた家から家財一式を引き取り新しく興こった家にそれらを流す。
「それでその骸骨が現れた切欠はあるのでしょうか」
「それがわからねえんだ」
鷹一郎のやけに朗らかな問いかけに息も絶え絶えという風情で答える伊左衛門。
綺麗な家と古びた骸骨。新しい家に古い家財。新築の匂いに少しの腐臭。
「そうですねぇ、では現れ始めた時に携わっていたお仕事はどちらで?」
「……水戸で一軒、東京で一軒、それから神津で二軒。扱うのは家財道具ばかりだ」
「結構手広くなされているんですねぇ。絞れなくとも無理はない。では髑髏や呪物に心当たりは?」
「ねぇ。仕事柄新しい場所に運び入れるもんだ。変なもんを持ち込んだらケチがつく。怪しげなものは持ち込まねぇしきちんと清めるよ」
その言葉はやけにきっぱりとしていて仕事への誇りが感じられた。
それに忠兵衛が言うにはこの伊左衛門にはそもそも女の影がまるでない。仕事一辺倒で婚姻どころか恋愛といえるものもほとんどなく、たまに一見で遊女を買うくらいで馴染みというものすらないらしい。
そして髑髏は女の声で闇の中で主人を探しているのだという。
「お商い柄、付喪神の類かとも思ったのですがお伺いした感じでは明確に人、なのですね」
「そう、だな。あれは人だ。人の慣れ果てだろう。やけにネトリと人の情感ってぇものを漂わせてやがる。最初は障子の外からか細い声が聞こえるだけだった。それで何だと思って開けちまったのがよくなかったんだろうかね」
伊左衛門は暗く冷たい息を吐く。それに釣られたかのように、真夏の糞暑い中にもかかわらずびゅうと凍える風が吹いた。
後を追うようにどこかでチリリと風鈴の涼しげな音が鳴る。
「そうですねぇ、呼び込んでしまったのでしょうか。それは最初はどのような姿でした?」
「最初も何もあれは初っ端から骸骨だよ。俺ぁ恐ろしくってぇすぐに障子を閉めて布団に閉じこもったんだがいつのまにか俺の布団のまわりをヒタリヒタリとうろつく音がし始めたんだ。それは毎日毎晩続いた。寝床を他所にうつしても同じだ。流石に他人の家に泊まればついてはこねぇが誰もいなけりゃどこだろうが現れる」
「ふむ確かに。しかしこうも原因が解らなければ対症療法しかありませんねぇ」
鷹一郎は見えぬ何かを嗅ぎ取るように小さく鼻をひくつかせると、おもむろに何やら呪言を呟き手を複雑な形に動かしながら九字を唱える。
朱雀、玄武、白虎、勾陣、帝久、文王、三台、玉女、青龍
そしてまたもごもごと呪言を唱えると、さらりと空気が流れて場が清められる感触があった。それを感じたのだろう伊左衛門も慌てて居ずまいを正す。
「あ、あの、今ので髑髏は去ったのでございましょうか!?」
「まあ、しばらくは」
「しばらく?」
「とりあえず、この建物からは邪気を祓いました。あなたが障子を開ける前の状態には戻っています。けれどもまだあなたの方からも繋がりを感じる。心当たりがないなら尚更、取り憑かれた原因があるはずです。あなたはどこかでそれに出会って縁を作ってしまったのでしょう。原因を除かない限り再びやっては来るでしょう。だから寝る間はこの札を1枚、障子の間に貼りなさい。貼っている間は中に入れません」
「あ、ありがてぇ! ありがとうございます!」
伊左衛門は鷹一郎にすがりつき、恭しく2枚の札を受け取った。地獄で仏に出会ったような顔色。忠兵衛はよかったな、と慰めている。
「あの、それでお礼はいかほど」
「今はお金はいりません。それにどうせあなたは障子を開けてそれを招き入れます」
「はっ?」
「そういうものなのです。恐らくね。それで招き入れてしまったら急いでもう1枚の札をあなたの心の臓に貼り付けなさい。それで一度だけそれからはあなたが見えなくなる。その姿をよく目に焼き付けて下さい。そうして私を呼ぶこと。よろしいですね」
鷹一郎はそう告げて、返事もまたずに宅を辞した。
白く照りつける陽の光の下、トンカンと金槌も盛んな通りを抜けながら先程の伊左衛門の必死の眼差しを思い浮かべた。鷹一郎といるとあんなふうに空気がガラリと変わる瞬間によく出会う。結界を張っているらしいが原理はわからん。
「また来るのかよ」
「来るでしょうねぇ」
「完全に祓えはしねぇのか?」
「原因がわかりませんからね。それなりに凶悪だと思いますよ。何人も死んでいます」
「げぇ」
「いずれあの人は迎え入れるでしょう。そうすると哲佐君の出番ですね」
土地区画整理によって新たに開発された商家の並ぶ一角を訪ねると、伊左衛門は確かにまるで骸骨で、そこそこ上品に見える青梅縞藍を身に纏い、総髪撫付の下のどんぐり眼で胡乱げにこちらを眺めた。
表の店をくぐり抜けると住居に繋がり、その奥の狭いスペースに小さな庭と池があった。伊左衛門の生業は質屋で、倉庫は別にあるらしい。そこに商材を納めて売り捌くのがその商い。
この御一新という革命は多くの興隆と没落をもたらした。落ちぶれた家から家財一式を引き取り新しく興こった家にそれらを流す。
「それでその骸骨が現れた切欠はあるのでしょうか」
「それがわからねえんだ」
鷹一郎のやけに朗らかな問いかけに息も絶え絶えという風情で答える伊左衛門。
綺麗な家と古びた骸骨。新しい家に古い家財。新築の匂いに少しの腐臭。
「そうですねぇ、では現れ始めた時に携わっていたお仕事はどちらで?」
「……水戸で一軒、東京で一軒、それから神津で二軒。扱うのは家財道具ばかりだ」
「結構手広くなされているんですねぇ。絞れなくとも無理はない。では髑髏や呪物に心当たりは?」
「ねぇ。仕事柄新しい場所に運び入れるもんだ。変なもんを持ち込んだらケチがつく。怪しげなものは持ち込まねぇしきちんと清めるよ」
その言葉はやけにきっぱりとしていて仕事への誇りが感じられた。
それに忠兵衛が言うにはこの伊左衛門にはそもそも女の影がまるでない。仕事一辺倒で婚姻どころか恋愛といえるものもほとんどなく、たまに一見で遊女を買うくらいで馴染みというものすらないらしい。
そして髑髏は女の声で闇の中で主人を探しているのだという。
「お商い柄、付喪神の類かとも思ったのですがお伺いした感じでは明確に人、なのですね」
「そう、だな。あれは人だ。人の慣れ果てだろう。やけにネトリと人の情感ってぇものを漂わせてやがる。最初は障子の外からか細い声が聞こえるだけだった。それで何だと思って開けちまったのがよくなかったんだろうかね」
伊左衛門は暗く冷たい息を吐く。それに釣られたかのように、真夏の糞暑い中にもかかわらずびゅうと凍える風が吹いた。
後を追うようにどこかでチリリと風鈴の涼しげな音が鳴る。
「そうですねぇ、呼び込んでしまったのでしょうか。それは最初はどのような姿でした?」
「最初も何もあれは初っ端から骸骨だよ。俺ぁ恐ろしくってぇすぐに障子を閉めて布団に閉じこもったんだがいつのまにか俺の布団のまわりをヒタリヒタリとうろつく音がし始めたんだ。それは毎日毎晩続いた。寝床を他所にうつしても同じだ。流石に他人の家に泊まればついてはこねぇが誰もいなけりゃどこだろうが現れる」
「ふむ確かに。しかしこうも原因が解らなければ対症療法しかありませんねぇ」
鷹一郎は見えぬ何かを嗅ぎ取るように小さく鼻をひくつかせると、おもむろに何やら呪言を呟き手を複雑な形に動かしながら九字を唱える。
朱雀、玄武、白虎、勾陣、帝久、文王、三台、玉女、青龍
そしてまたもごもごと呪言を唱えると、さらりと空気が流れて場が清められる感触があった。それを感じたのだろう伊左衛門も慌てて居ずまいを正す。
「あ、あの、今ので髑髏は去ったのでございましょうか!?」
「まあ、しばらくは」
「しばらく?」
「とりあえず、この建物からは邪気を祓いました。あなたが障子を開ける前の状態には戻っています。けれどもまだあなたの方からも繋がりを感じる。心当たりがないなら尚更、取り憑かれた原因があるはずです。あなたはどこかでそれに出会って縁を作ってしまったのでしょう。原因を除かない限り再びやっては来るでしょう。だから寝る間はこの札を1枚、障子の間に貼りなさい。貼っている間は中に入れません」
「あ、ありがてぇ! ありがとうございます!」
伊左衛門は鷹一郎にすがりつき、恭しく2枚の札を受け取った。地獄で仏に出会ったような顔色。忠兵衛はよかったな、と慰めている。
「あの、それでお礼はいかほど」
「今はお金はいりません。それにどうせあなたは障子を開けてそれを招き入れます」
「はっ?」
「そういうものなのです。恐らくね。それで招き入れてしまったら急いでもう1枚の札をあなたの心の臓に貼り付けなさい。それで一度だけそれからはあなたが見えなくなる。その姿をよく目に焼き付けて下さい。そうして私を呼ぶこと。よろしいですね」
鷹一郎はそう告げて、返事もまたずに宅を辞した。
白く照りつける陽の光の下、トンカンと金槌も盛んな通りを抜けながら先程の伊左衛門の必死の眼差しを思い浮かべた。鷹一郎といるとあんなふうに空気がガラリと変わる瞬間によく出会う。結界を張っているらしいが原理はわからん。
「また来るのかよ」
「来るでしょうねぇ」
「完全に祓えはしねぇのか?」
「原因がわかりませんからね。それなりに凶悪だと思いますよ。何人も死んでいます」
「げぇ」
「いずれあの人は迎え入れるでしょう。そうすると哲佐君の出番ですね」