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 更衣室のロッカーから制服を取り出し、髪や体についたジュースをシャワー室で洗い流す。

 身支度を整えて廊下に出ると、壁に背を預けて待っていた天王先輩がこちらを向いた。


「すみません、お待たせしてしまって」

「そんなに待ってないから。というより、むしろ早くない? ほら、髪もまだ濡れているよ」

 天王先輩は私の耳の横にそっと手を添え、前のように妖術を使って髪の湿りをとってくれた。


「……。余計なことしたかな」

「え?」

「さっきからイトちゃん、静かだから。俺が食堂に来てまずかったかと」

「……っ、違います! むしろ、天王先輩が来てくれてほっとしました。お礼が遅くなってごめんなさい、ありがとうございます……」


 食堂でのことを思い出し、自分が情けなくなってくる。

 それでも感謝を伝えようと俯きがちにお礼を言うと、頭上でふっと笑う声が聞こえた。



「場所を変えようか。ここから外に出られる」

 天王先輩と外に出て、誰もいない学園の小さな並木道を歩く。
 しばらく黙り込んでいた天王先輩は立ち止まると、半歩後ろを歩いていた私に向き直った。


「不快にさせること、言ってもいいかな」

「なん、ですか?」

 思わず身が強ばった。
 食堂であんなに情けない姿を見られたんだ。それについてなにかを言われるのかと構えていると、


「やっぱり俺と、番契約を結ばない?」
「ええ?」

 素っ頓狂な声が出る。
 このタイミングでまた言われるとは思ってもみなかった。

 だけど、この前のときとは表情が違う。
 天王先輩は、本気だった。


「正直に言うと、初めから番契約のことは頭にあって、君をお昼に誘っていたんだ」

「私が、天王先輩といても魅了されないからですか?」

「そう。だけどそのうち、この子と番になれたらいいだろうなって、自分の体質を抜きにして考えるようになってた」

 そう言って、天王先輩は再び歩き出す。
 今度は彼の隣に並んで私も一緒に歩を進めた。

「で、もう少し君のことを知りたくなって、調べてみたんだ」

「調べた!?」

「そう、調べた。ごめんね」

「い、いえ」

 私が不快に思わないかと心配そうにしている天王先輩だけど、それよりも一体どんなふうに調べたのかが気になる。

 顔に出ていたらしく、天王先輩は眉尻を下げながら言った。


「小鬼に頼んで、いろいろと」

「いろいろと」

「うちの小鬼は優秀だから、君が家でどんな扱いを受けているのか、学園でのこととか、事細かに教えてくれたんだ」

「え、と……それは」


 一体どこまで、この人は知っているんだろう。

 私が家でお義母さんや亜美から嫌がらせをされていること?

 食事を抜きにされたり、使用人たちから衣服で見えないところを蹴られたり、突かれたりして体罰を受けていること?

 教えてくれたって……まさか、本当に?


「シートに寝転んだときのこと、覚えてる? 本当に偶然だったんだ。スカートが捲れて太腿にいくつも痣があるのが見えた。それから君の言動を注意してみれば、少しずつ違和感があった」

「違和感……?」

「いつからかな、俺が今日も校舎には近づいていないって言ったら、あからさまにほっとしてたり」

 そういえば、会うたびに「今日も校舎には入っていないんですか?」と聞くようになった。

 ……私が学園でどんな扱いを、影で色々と言われていることを、知られたくなかったから。


「香りが強くなったのも、その頃からかな」

 湿布だらけの身体は、服の上からでも独特の臭いがした。
 距離感がおかしい天王先輩に近づかれたら気づかれてしまうと思った。

 だから、柔軟剤を多めに入れて隠していた。

 家族から嫌われて、使用人から雑に扱われる、惨めな自分を知られるのが恥ずかしかったから。


「あの、えっと……」

 小鬼ちゃん、どうやって調べたんだろう。

 天王先輩の表情を見れば、それがハッタリではないことくらいわかる。

 この人は、知っている。
 そう思うと、どう話せばいいのか、急にわからなくなってきた。