天王先輩が現れたことで、さらに沈黙は深くなった。

 誰もがその姿に絶句し、瞠目して固まっている。
 そんな雰囲気の中で、天王先輩の足どりは軽い。


「コンとポンが俺のところに来てね、イトちゃんのところに行ってくれって」


 天王先輩は、周囲に一切目を向けない。

 むしろ周りが見えているのかと聞きたくなるほどに、私だけしか見ていなかった。


「それ、どうした? あの時みたいに、また濡れているね。しかも、ジュース……なにがあったか言える?」

 天王先輩は心配そうに顔を覗き込んでくる。

 そこでようやく気がついた。彼の装いがいつもとは少し違っていることに。

 片耳には強い妖力が感じるピアスが、そして私の頬についた横髪を払う手の指にもいくつかの指輪が嵌っている。

 そのすべてに凄まじい妖力の気配が伝わってきた。

 これ、天王先輩の妖力を、抑え込んでいるんだ。


「あ、あの……それは……っ」


 私にジュースをかけた亜美の取り巻きの女子が高い声を出す。
 頬を真っ赤に染めて惚けたような顔をして、それでいてひどく緊張しているのか唇が震えている。

 この子だけじゃなくて、天王先輩を見つめる女子のほとんどが似たような状態だった。

 すべての視線が彼に集中して、なぜか背筋がぞわりする。

 ああ、これのことかと思った。
 天王先輩に向けられる好奇の目。説明がしにくいけれど。たしかにこれは、横にいるだけの私でもキツい。

 彼を凝視する目が、異様で恐ろしく感じた。


「それ、あたしがやったんです、あたしが……!」

 認知して欲しいのか、またその子は声を出す。
 天王先輩が纏う独特の空気に気圧され、それでも何か期待を滲ませた目を向けていた。


「イトちゃん、更衣室に行こうか。制服を持って、話はそれからかな」


 またしても、天王先輩はその子の言葉に反応することなく私に優しく笑いかけてくる。

 故意にそうしているのだと気づいたとき、椅子に座っていた亜美が立ち上がり、天王先輩の腕にそっと触れた。


「あの……天王先輩、ですよね? お姉ちゃんとお知り合いだったんですか……?」

 自分よりうんと背の高い天王先輩を見上げ、亜美は小さく首を傾げる。
 女の子らしい仕草で天王先輩に近づく様子に、なんだが胸がざわついた。


「触るな」

 天王先輩の視線がゆっくりと、亜美に流れる。
 彼の口から言葉が放たれた瞬間、空気がズンと重くなった。

 どこまでも冷たい瞳は私とお昼を食べていたときのものとは違っていて、周りをどんどん威圧していく。

 赤面し惚けていた女子生徒も、羨望の眼差しの中に嫉妬のような感情を浮かべる男子生徒も、全員が吹雪に打たれたように青ざめる。

 魅了以上に、天王先輩は漂う自分の妖力に恐怖を乗せているんだ。


「相変わらず鬱陶しい感情ばかりでうんざりだな。特に、君――」

 鋭く射抜くように亜美を見下ろした天王先輩は、忌々しそうな表情で言った。


「取り繕っても無駄だ。醜い心根がこんなにも滲み出ている。俺が最も不快な人種だよ」

「なっ……」

「そのポケットにある物も、早く渡してくれないか」

「え……あ……」
 
 はじめはカッと顔を赤くした亜美だったが、天王先輩が言葉を発するたびに顔色がどんどん悪くなっていく。

 そして壊れた人形のように固くなった動きでポケットに手を入れ、取り出したのは私のペンダントだった。


「こ、これ」

「あ……」

 あっさりとペンダントを渡され、呆然としていれば天王先輩が私の手首を掴んだ。


「行こうか、イトちゃん。もうここに用はない」


 穏やかな声音とは反対に、去り際に食堂へと視線を向けた天王先輩の横顔は、とても冷淡にみえた。