「早く。紅。早くっ――!」
「硯の言うことは、できる限りかなえたい。だから前回は隠れていた。だが、それは過ちだった。ときには硯の大事な言葉に背いてでも、守らねばならないのだな。……人間の機微を俺はこれからもっと学ばねばならないようだ」

 紅は、視線をちょっとうつむき加減に――そのままゆっくりと立ち上がって、ゆらりと、清、ではなくまもり神さまを見た。

 ――その迫力に、ぞっとする。
 これまで見たことのない、彼の迫力。
 背後から紅い炎が立ちのぼっているかのようで……。

 このひとはあやかしなんだ、と。
 初めて実感として、思った。

「……稲荷の化身と申したな?」
「……なんだ、おまえは。白い髪に紅い瞳。子鬼か何かか」

 まもり神さまは警戒した様子で、清を抱き寄せる。

「俺を知らないとは。田舎者にも程がある。――こう言えばわかるか? 白の大蛇である、と」
「……へ?」

 まもり神さまはぽかんとしたあと、急に青ざめた。

「……し、し、白の大蛇。ま、ま、まさか……大蛇の君……?」
「田舎者でも聞いたことくらいはあったか」

 呆れたように、紅は言う。

「う、う、うそだ。なんで大蛇の君が、こんな寂れた田舎の農村に。そうか! 下級の狐か狸が化けているのだろう。た、大蛇の君がこんなところにいらっしゃるなんて……そんな……そんなわけない!」
「疑うのであれば戦ってみるか?」

 紅は右手をまっすぐに突き出す。
 その拳は、少しずつ紅く燃え――なのに紅はちっとも熱そうではない。

「……ひいいっ。な、なんだ強烈なこの力は」

 私たちにはなにもわからないのだけれど――まもり神さまは、なにか感じとっているようだった。

「ちょっと力を出しただけでそれか」
「わ、わかりました、こんな妖力を出せるあやかしが、ただものなわけないっ。わかりましたから、そのお力をお納めください、ば、化け術が剥がれてしまう、し、死ぬ……」

 紅は呆れたように息をついて、拳の炎を消して引っ込めた。

「俺は悪神退治も請け負っていてな。人間たちの平和になぞそこまで興味はないのだが、可愛い弟のためだ。各地で悪さをするようになった神――悪神を退治して回っている。……この村の近くの水源には、ずっと悪神がいた。水底の深きところにいたから水害程度で済んだのだろうが、とんでもない力を持ったやつだった」
「……じゃ、じゃあ、もしや三日前の雷雨も」
「その悪神と俺が戦っていたからだ。悪神の最後の悪あがきだったみたいだな。……で?」

 紅は、まもり神さまを睨む。

「俺はたしかに白の大蛇だが。おまえは何なんだ? 二年前から村のまもり神になったと言っていたな。しかし、まもり神であるためには当然神であらねばならないのに、神の気配がしない。悪神も放っておいている。おまえはいったい――何なんだ?」