その幼いながら妖艶とも言える美貌と、高名な道士である袁天綱の鑑定により特別な子供だと判断した武士彠は、照を他の子供たちから隔離し、特別な教育を施すこととした。天に昇る―――つまり、後宮入りし、出世する可能性があるのではないかと考えたのだ。そのためには、輝くような容姿は当然のこと、高度な学問や品格も必要となるからである。


 照が5歳になったとき、武士彠は本格的に教育を始めることにした。後宮入りは早ければ10代前半である。それまでに、必要な知識と教養を叩き込む必要がある。指導する者は信頼できる者でなければならないし、高い教養を身に付けていなければならない。その選定は一番重要で困難である。しかし、既に武士彠にはその人物に一人だけ心当たりがあった。

(そう)を呼べ」

 武士彠には照の他に、子供が4人いる。家督を継ぐ長男の(けい)、次男の爽、長女の(ゆう)、三女の(よう)である。
 その子供たちの中に、並外れた知識と教養を持った者がいた。次男の爽である。教えることを真綿に水が染み込むように吸収し、まだ14歳であるにも関わらず、既に指導役には教えることがなくなったほどの逸材だ。いずれ科挙に合格し、高級官吏として王宮で働くことになるだろう。

「父上、お呼びでございましょうか」

 使用人に呼びに行かせてすぐ、扉の向こう側から若い男性の声がした。

「入れ」
「失礼します」

 音もなく扉が開き、次男である爽が入室する。
 細身で穏やかな物腰は、武人である武士彠とは対極に位置している。爽は外見通り、武術は護身術程度の心得しかなく、身体より頭脳を使う側の人間である。逆に長男の慶は逞しい体躯の武闘派であり、兄弟でバランスが取れている。


 爽は呼ばれた時点で、これから告げられることの内容の予想がついていた。
 照が生まれて5年。袁天綱道士の評価も耳に届いている。将来的に後宮に入れるつもりであれば、そろそろ教育を開始しなければ間に合わなくなる。照は爽から見ても、全てにおいて非凡である。そんな少女を教育できる者など、この地には爽以外に存在しないのだから。

「爽よ。今日この時から、照の教育を任せる。この意味が分かるな?」

 爽に断ることなどできない。当主に絶対的な権限があるこの時代、爽には優しい兄を演じる以外の選択肢などないのだ。

「お任せ下さい。必ずや、ご期待に応えてみせます」

 爽は全く躊躇する素振りも見せず、即座に承諾して頭を下げた。


 爽は退室するとすぐに、その足で照の元に向かった。
 石造りの廊下を歩きながら、爽はその端正な顔立ちに似合わない笑みを浮かべる。先ほどまでの殊勝な態度は消え失せ、口元を歪ませていた。全てが計画通りだったからである。

 家督は長男である慶が継ぐことが決まっている。そのことに不満はない。爽にとって、地方の軍都督という地位など興味の対象にすらなっていなかった。上位で科挙に合格を果たし、王宮で出世する。従三品の御史大夫、いや、その更に上である正三品の侍中まで実力で到達できると思っている。
 何の後ろ盾もない地方豪族出身では、その辺りが限界である。才能など関係ない。そこから上の官職は上位貴族が独占しているからだ。

 しかし、自分を推挙する者が現れればどうだろうか。
 もし、仮に、皇帝の妃が己の妹であればどうだろうか。
 
 そこまで考えて、爽は表情を引き締める。
 自らと同じく聡明な照は、この下心を見透かしてしまうかも知れない。

 その他4人の兄弟姉妹が生活している建物とは違う、朱色と金で飾られた豪華な建物。その前に立ち、爽は柔和な笑みを浮かべて扉を叩く。

「爽です。父の命で参りました」

 カチリと錠が開く音がし、ゆっくりと扉が開く。中から20代前半だろうか、赤い服を着た女性が現れた。

「爽様、どうぞお入り下さい」

 そう言って扉とともに侍女が端に退いて、爽を室内へと案内する。すると、それに気付いた照が筆を置いて顔を上げた。照は書の練習をしていたようだった。

「爽お兄様」

 屈託のない笑みを浮かべ、椅子から立ち上がった照が爽の元へと駆け寄る。そして、爽の足元に抱き付くと、その顔を上げた。まとわりつく照の小さな頭を撫で、爽は穏やかな口調でゆっくりと告げる。

「今日から、私が照の先生になることになった。学問をはじめ、どこに出ても恥ずかしくないような作法も教えていく。しっかりと覚えるんだよ」
「はい、分かりました!!」

 爽の足元から離れると、照は全身を使って大きく頷いてみせた。