「おはよーっ」

 教室のドアを開けると、クラスメートがこっちへ向き、ぱらぱらと返事を返してくれた。
 本当はショックで学校どころじゃなかったけど、桔梗さまにまた会うためには“いい子”にしてなくちゃだめかなって。

「あ、紬。おはよ」
「凛! 久しぶりなのに反応うっすいなぁ……」

 親友の凛のポニーテールが朝の風に吹かれて揺れる。

「あ、またノート写させてね。1週間分たまってるもんなぁ……」

 そう言うと、凛は大きな瞳をさらに大きく見開いた。

「いや、久しぶりも何も、昨日も学校来てたでしょ? それどころか万年皆勤賞じゃん」
「え……?」

 わたしは昨日まで、あやかしの世で桔梗さまと雪さんと旅をしていたはずなのに。
 2人の顔を思い出したら、胸がチクリと痛んだ。

「暗い顔してどしたの? 紬らしくないよ」

 どうやら、親友にはお見通しみたいだ。
 覗き込んでくる凛に、パッと笑顔を向ける。

「大丈夫! 今日も元気だよ!」
「ふぅん……ならいいけど……」

 凛を振り切って、席に向かう。
 そして、カバンの中から黄色い封筒を取り出した。
 その中には、和紙でできた便箋が1枚だけ。
 ぎっしりと詰められた桔梗さまの文字に、胸が苦しくなる。

『紬へ
 突き放しておいて手紙を送ること、許しておくれ。
 最後があのような形になってしまって、本当にすまない。
 だけど、紬の命には代えられないだろう?
 あれで分かったはずだ。
 ぼくは化け物だ。
 もう近寄ってはならないよ。あやかしは、危ない生き物なのだから。
 ひとの世では、楽しくやっているかい?
 紬の幸せを願っているよ。
 最後に、1つだけ。
 あのとき、名前を呼んでくれてありがとう。
 さようなら。
                  桔梗』

 桔梗という文字の、墨で滲んだ最後の一角。
 桔梗さまの文字からは優しさが滲み出ていて、あの声が蘇ってくる。
 桔梗さまは化け物なんかじゃないよ。
 この手紙が、全部を表してる。
 わたしの幸せを願うあなたが、最後までわたしを守ってくれたあなたが、化け物なわけがない。

 これ以上手紙を読んだら壊れてしまいそうで、封筒を開く。
 すると、封筒の中にもうひとつ、和紙の包みを見つけた。

 そっと包みを開くと、桔梗さまの『忘れ物』という文字が目に飛び込んでくる。
 丁寧に包まれた、すっかり色褪せた星形の花びら。
 見間違えるはずがない。
 桔梗さまがくれた、大切なお守り(想い出)

「桔梗さまぁ……っ」

 桔梗。この花の名前は、桔梗。
 とたん、桔梗さまの表情が頭の中を駆け巡る。
 優しくてあたたかい微笑み。
 少し眉を上げて叱ってみせる表情。
 わたしを守ったときに見せた、鋭い瞳。
 苦しげで悲しそうな顔だって愛しかった。
 紬って呼ばれるたびに胸が高鳴って、自然と笑顔になれた。
 ありがとうもごめんなさいも大好きも、まだ伝え足りないのに。
 さよならなんて、嫌だ……っ。
 ねじ伏せて無理やり蓋をしていた気持ちが爆発して、一気に溢れ出してくる。

「紬ちゃん? 大丈夫?」

 周りの子たちに覗き込まれて、涙が溢れていることに気付く。
 とめどなく溢れる涙を拭いながら、口角を上げようとして、失敗。
 となりに桔梗さまがいなかったら、上手く笑うこともできない。

 顔をぐしゃぐしゃにして泣くわたしを、誰かがじっと見つめている気がした。