「2人を邪魔しちゃいけないって思ってたけど、もう我慢できないわ!
わたしは紬を愛してる。だからこそ、守りたいと思うのよ。あなたが弱いからじゃなくて、愛してるから守りたいの!
送り犬さまも同じはずよ! そろそろ分かりなさい! 紬だってそうでしょ? 送り犬さまが危険なとき、助けに行くでしょう!?」
雪さんの言葉が、わたしの心を激しく揺らす。
わたし、烏天狗から振り落とされた桔梗さまを、無我夢中で受け止めた。
そのとき、自分が死ぬかなんて考えてなかった。
ただ、桔梗さまを助けたい、その一心で──。
必死に訴える彼女は、まだ言葉を繋ぐ。
「あなたを捜してる送り犬さまが、どれだけ必死だったか! 川に浮かぶ桔梗の花を見て、後先考えずに川へ入って……それだけじゃないわ。送り犬さまだって監視人に見つかったら危ないのに、そんなのお構いなしで駆け回って──」
雪さんの口を、桔梗さまが塞いだ。
そして、優しく微笑む。
あのときと同じように、わたしと目を合わせるために、少しかがんで。
「ごめんね。紬。言葉が足りなかったみたいだ。少し、ぼくの昔話を聞いてくれないか」
そう言って桔梗さまは、静かに語り出した。
*
桔梗さまが若かった頃、何百年も前の話。
はじめて出会ったひとは、優しくて穏やかな、花みたいなひとだったらしい。
川のほとりまで辿り着いて、舟に乗り込もうとした、その時。
後ろで突風が巻き起こって、川に吹き飛ばされたんだそうだ。
川で溺れそうになる彼女をかばってできたのが、手首の、わたしがあやかしの世に来たときに見つけた傷なんだって。
目の前に立っていたのは、大天狗。
この前の烏天狗かと思ったけど、そんなの比にならないくらい大きな天狗。
その天狗の大きな団扇は、鋭く尖っていて。
桔梗さまが倒れているその隙を狙って、彼女を切り裂いた。
桔梗さまが手で押さえても、布で押さえても、とめどなく溢れてくる赤黒い血。
どんどん彼女の手は冷たくなっていって。
彼女は『貴方の隣でいられて幸せでした』って笑った後、
『今度は守り抜いてくださいね』って、最期に弱々しく桔梗さまの手を握って、目を瞑った。
「彼女が眠ったのを見て、すぐに飛び去ろうとした天狗に訊いたよ。なぜ彼女だけ殺すのだと。なぜぼくを生かしておくのかと。そうしたら、奴は……彼女は当選者だから殺す必要があったと淡々と述べた」
当選者だから殺す。
監視人の理不尽さに、怒りがふつふつと湧き上がってくる。
「送り犬としてのはじめての役目が失敗に終わって、何百年も心に穴が開いていた。ひとを送り届けても、彼女の顔が頭に浮かぶ。ぼくが殺したようなものだろう。ぼくがもっと強ければ、彼女は生きて帰れた」
桔梗さまは悪くない。
でも、わたしの目の前で桔梗さまが死んでしまったら、責任を感じてしまう。
ただとなりでいただけで、何にも悪くない。
だけど、その責任は重くのしかかってくるものなんだと思う。
「だけどね、紬。きみに救われたんだよ」
「わたしがですか? わたし、桔梗さまに助けられてばっかりなのに……」
「ううん、違うんだ。はじめて会った日、ありがとうと言ってくれたろう。真っ直ぐな瞳で」
「そうでしたっけ……?」
「あのとき、きみの言葉に救われた。他の人間は、怯えて逃げていくばかりで。でも、紬はありがとうと笑ってくれた。ぼくに感謝してくれるひとがいるんだと思えた。ありがとう」
桔梗さまは掠れた声で、すまない、と言って顔を背ける。
その顔に、一筋の涙が流れ落ちた。
わたしが覚えてもいない、ささいな言葉。
でも、桔梗さまからしたら、ささいじゃなかった。
わたしの言葉が桔梗さまを救っていたなんて、正直信じられない。
でも、桔梗さまの言葉が、涙が、事実だって言ってる。
「ぼくが紬を守るのは、送り犬だからじゃない。“桔梗”として、きみのとなりにいたいからだよ。
──愛しいと思わなければ、ここまで必死にならないよ。きみのために命をかけるのは、紬が愛しいからだ」
彼は一度俯いて、小さく息を吐く。
そして、決意の滲む瞳で、じっとわたしを見つめた。
「あのとき、僕を救ってくれた真っ直ぐな瞳が、頭から離れなかった。きみのことを想っているからだと思うと、腑に落ちたんだ。
いつも一生懸命なところが愛しい。頑張ると決めたら、一生懸命なところが愛しい。健気なところが愛しい。笑顔が眩しいところが愛しい。優しすぎて、思い詰めてしまうところさえも愛しい。挙げたらきりがないよ。
これが守る理由。となりでいる理由。それじゃだめかい?」
溢れ出してくる、いろんな気持ち。
悲しい、苦しい、嬉しい、大好き……。
守ってくださるのは、桔梗さまの優しさで、義理人情みたいなものだと思ってた。
だけど、違ったみたいだ。
10年前のわたしが、今までのわたしが少しずつ積み重ねていった何かが、桔梗さまの心に届いて。
守る理由──愛しさになったんだ。
「わたしだって、桔梗さまのこと大好きです。だから、それだからこそ、桔梗さまに守られたくない……」
桔梗さまがパチパチと目をまたたく。
自分でもわがままだって分かってる。
「それは、ぼくの怪我を心配して、だね?」
「だって桔梗さま、今だって怪我がたくさんで……」
「ぼくは、何がなんでも紬を守るよ。心に決めたんだ。ぼくを救ってくれたきみを、幸せにしてやると。だけど、それに怪我はつきものだ」
桔梗さまの優しい笑みが、提灯の明かりにぼんやりと照らされる。
「だから、紬がぼくのことを守ってくれないか」
「わたしが、桔梗さまを守る……?」
桔梗さまが何を考えているのか全く分からなくて、その言葉を繰り返す。
彼は、うん、と微笑んだ。
「ぼくが紬を守るから、紬はぼくを守る。これでおあいこだ。ぼくは紬に笑っていてほしいからね。もし守りたくなければ嫌だと言っていい。紬の好きなようにしなさい」
「わたし、桔梗さまが死んじゃいそうで怖いんです。ねぇ、桔梗さま。わたしが守るって言ったら、死なないって約束してくれますか?」
「もちろんだよ」
桔梗さまに頷いてもらえたことにほっとする。
わたしに守れるくらいの強さはないけど、桔梗さまの心を埋めることはできるらしい。
これ以上彼に怪我をさせないように、自分のことを守れるようにして。
桔梗さまの心に寄り添えるように、わたしにできることを頑張ろう。
「それと、ぼくからもう1つ」
桔梗さまの真剣な面持ち。
「ぼくのとなりにいたくないというのは、嘘だね?」
「ううう嘘です! すみません桔梗さま! 桔梗さまの命のために、わたしが離れなきゃと思って……」
はぁっと大きく息をついた桔梗さま。
「紬、笑っておくれ。嘘をついた罰だ」
笑うだけでいいのかな、なんて思いながら唇を笑顔の形にする。
そしたら、桔梗さまがすごく幸せそうな顔になって。
その顔を見ていたら、わたしももっと笑顔になってしまう。
桔梗さまに引き寄せられて、ぽんぽんっと頭を撫でられる。
そのぬくもりが、懐かしくて、優しくて。
やっぱり桔梗さまが大好きだなって、桔梗さまにしがみついてしまう。
「やはり、紬は笑顔がいちばんだね」
「桔梗さまも笑顔がいちばんです!」
笑い合うわたしたちに、雪さんもフフッと笑う。
そして、何かに思い当たったようにニヤニヤし始めた。
「というか、両想いって分かったんでしょ? もっと喜びなさいよ」
「えっ? あっ、りょ、両想い……!?」
すぐそこにある桔梗さまと目が合ってしまって、顔が真っ赤になる!
「……そういうとこよ」
2人して真っ赤になったわたしたち。
それを見て、雪さんはまた笑った。
わたしは紬を愛してる。だからこそ、守りたいと思うのよ。あなたが弱いからじゃなくて、愛してるから守りたいの!
送り犬さまも同じはずよ! そろそろ分かりなさい! 紬だってそうでしょ? 送り犬さまが危険なとき、助けに行くでしょう!?」
雪さんの言葉が、わたしの心を激しく揺らす。
わたし、烏天狗から振り落とされた桔梗さまを、無我夢中で受け止めた。
そのとき、自分が死ぬかなんて考えてなかった。
ただ、桔梗さまを助けたい、その一心で──。
必死に訴える彼女は、まだ言葉を繋ぐ。
「あなたを捜してる送り犬さまが、どれだけ必死だったか! 川に浮かぶ桔梗の花を見て、後先考えずに川へ入って……それだけじゃないわ。送り犬さまだって監視人に見つかったら危ないのに、そんなのお構いなしで駆け回って──」
雪さんの口を、桔梗さまが塞いだ。
そして、優しく微笑む。
あのときと同じように、わたしと目を合わせるために、少しかがんで。
「ごめんね。紬。言葉が足りなかったみたいだ。少し、ぼくの昔話を聞いてくれないか」
そう言って桔梗さまは、静かに語り出した。
*
桔梗さまが若かった頃、何百年も前の話。
はじめて出会ったひとは、優しくて穏やかな、花みたいなひとだったらしい。
川のほとりまで辿り着いて、舟に乗り込もうとした、その時。
後ろで突風が巻き起こって、川に吹き飛ばされたんだそうだ。
川で溺れそうになる彼女をかばってできたのが、手首の、わたしがあやかしの世に来たときに見つけた傷なんだって。
目の前に立っていたのは、大天狗。
この前の烏天狗かと思ったけど、そんなの比にならないくらい大きな天狗。
その天狗の大きな団扇は、鋭く尖っていて。
桔梗さまが倒れているその隙を狙って、彼女を切り裂いた。
桔梗さまが手で押さえても、布で押さえても、とめどなく溢れてくる赤黒い血。
どんどん彼女の手は冷たくなっていって。
彼女は『貴方の隣でいられて幸せでした』って笑った後、
『今度は守り抜いてくださいね』って、最期に弱々しく桔梗さまの手を握って、目を瞑った。
「彼女が眠ったのを見て、すぐに飛び去ろうとした天狗に訊いたよ。なぜ彼女だけ殺すのだと。なぜぼくを生かしておくのかと。そうしたら、奴は……彼女は当選者だから殺す必要があったと淡々と述べた」
当選者だから殺す。
監視人の理不尽さに、怒りがふつふつと湧き上がってくる。
「送り犬としてのはじめての役目が失敗に終わって、何百年も心に穴が開いていた。ひとを送り届けても、彼女の顔が頭に浮かぶ。ぼくが殺したようなものだろう。ぼくがもっと強ければ、彼女は生きて帰れた」
桔梗さまは悪くない。
でも、わたしの目の前で桔梗さまが死んでしまったら、責任を感じてしまう。
ただとなりでいただけで、何にも悪くない。
だけど、その責任は重くのしかかってくるものなんだと思う。
「だけどね、紬。きみに救われたんだよ」
「わたしがですか? わたし、桔梗さまに助けられてばっかりなのに……」
「ううん、違うんだ。はじめて会った日、ありがとうと言ってくれたろう。真っ直ぐな瞳で」
「そうでしたっけ……?」
「あのとき、きみの言葉に救われた。他の人間は、怯えて逃げていくばかりで。でも、紬はありがとうと笑ってくれた。ぼくに感謝してくれるひとがいるんだと思えた。ありがとう」
桔梗さまは掠れた声で、すまない、と言って顔を背ける。
その顔に、一筋の涙が流れ落ちた。
わたしが覚えてもいない、ささいな言葉。
でも、桔梗さまからしたら、ささいじゃなかった。
わたしの言葉が桔梗さまを救っていたなんて、正直信じられない。
でも、桔梗さまの言葉が、涙が、事実だって言ってる。
「ぼくが紬を守るのは、送り犬だからじゃない。“桔梗”として、きみのとなりにいたいからだよ。
──愛しいと思わなければ、ここまで必死にならないよ。きみのために命をかけるのは、紬が愛しいからだ」
彼は一度俯いて、小さく息を吐く。
そして、決意の滲む瞳で、じっとわたしを見つめた。
「あのとき、僕を救ってくれた真っ直ぐな瞳が、頭から離れなかった。きみのことを想っているからだと思うと、腑に落ちたんだ。
いつも一生懸命なところが愛しい。頑張ると決めたら、一生懸命なところが愛しい。健気なところが愛しい。笑顔が眩しいところが愛しい。優しすぎて、思い詰めてしまうところさえも愛しい。挙げたらきりがないよ。
これが守る理由。となりでいる理由。それじゃだめかい?」
溢れ出してくる、いろんな気持ち。
悲しい、苦しい、嬉しい、大好き……。
守ってくださるのは、桔梗さまの優しさで、義理人情みたいなものだと思ってた。
だけど、違ったみたいだ。
10年前のわたしが、今までのわたしが少しずつ積み重ねていった何かが、桔梗さまの心に届いて。
守る理由──愛しさになったんだ。
「わたしだって、桔梗さまのこと大好きです。だから、それだからこそ、桔梗さまに守られたくない……」
桔梗さまがパチパチと目をまたたく。
自分でもわがままだって分かってる。
「それは、ぼくの怪我を心配して、だね?」
「だって桔梗さま、今だって怪我がたくさんで……」
「ぼくは、何がなんでも紬を守るよ。心に決めたんだ。ぼくを救ってくれたきみを、幸せにしてやると。だけど、それに怪我はつきものだ」
桔梗さまの優しい笑みが、提灯の明かりにぼんやりと照らされる。
「だから、紬がぼくのことを守ってくれないか」
「わたしが、桔梗さまを守る……?」
桔梗さまが何を考えているのか全く分からなくて、その言葉を繰り返す。
彼は、うん、と微笑んだ。
「ぼくが紬を守るから、紬はぼくを守る。これでおあいこだ。ぼくは紬に笑っていてほしいからね。もし守りたくなければ嫌だと言っていい。紬の好きなようにしなさい」
「わたし、桔梗さまが死んじゃいそうで怖いんです。ねぇ、桔梗さま。わたしが守るって言ったら、死なないって約束してくれますか?」
「もちろんだよ」
桔梗さまに頷いてもらえたことにほっとする。
わたしに守れるくらいの強さはないけど、桔梗さまの心を埋めることはできるらしい。
これ以上彼に怪我をさせないように、自分のことを守れるようにして。
桔梗さまの心に寄り添えるように、わたしにできることを頑張ろう。
「それと、ぼくからもう1つ」
桔梗さまの真剣な面持ち。
「ぼくのとなりにいたくないというのは、嘘だね?」
「ううう嘘です! すみません桔梗さま! 桔梗さまの命のために、わたしが離れなきゃと思って……」
はぁっと大きく息をついた桔梗さま。
「紬、笑っておくれ。嘘をついた罰だ」
笑うだけでいいのかな、なんて思いながら唇を笑顔の形にする。
そしたら、桔梗さまがすごく幸せそうな顔になって。
その顔を見ていたら、わたしももっと笑顔になってしまう。
桔梗さまに引き寄せられて、ぽんぽんっと頭を撫でられる。
そのぬくもりが、懐かしくて、優しくて。
やっぱり桔梗さまが大好きだなって、桔梗さまにしがみついてしまう。
「やはり、紬は笑顔がいちばんだね」
「桔梗さまも笑顔がいちばんです!」
笑い合うわたしたちに、雪さんもフフッと笑う。
そして、何かに思い当たったようにニヤニヤし始めた。
「というか、両想いって分かったんでしょ? もっと喜びなさいよ」
「えっ? あっ、りょ、両想い……!?」
すぐそこにある桔梗さまと目が合ってしまって、顔が真っ赤になる!
「……そういうとこよ」
2人して真っ赤になったわたしたち。
それを見て、雪さんはまた笑った。