「通報があった暴走している女鬼とはお前のことか?」

 石段を登ってきたのは闇に紛れてしまいそうな紺色の制服姿の男たちだった。歴史の教科書で見たことがあった。昔の警察官の制服だった。

「よくここにいると分かったな」

 男が弥生を庇うように警察官の前に立つ。声を掛けてきた警察官は不審そうに眉を上げたが、すぐに元の無表情に戻った。

「この近辺からも通報があった。誰かが廃社となった社で暴れて、瓦が崩れ落ちたと」
「それにしては到着まで随分と時間が掛かったな」

 両腕を組んで挑発するような男の態度に警察官は舌打ちすると、男の後ろから様子を見ていた弥生を睨め付ける。

「とにかくそこの女鬼の身柄を引き渡してもらおう」
「駄目だ。彼女は渡せない」
「何っ!? 貴様、警察に逆らうのか?」

 他の警察官が二人の脇をすり抜けて弥生を捕らえようとするが、男は両腕を伸ばすと弥生の前に立ち塞がる。

「逆らうつもりはない。だが彼女は俺の身内だ。身内の問題はまず身内で解決させてもらいたい」
「身内? そこの女鬼とどういう関係だ」
「恋人だ」
「こいびと!? 恋人だと……!?」

 驚いたのか声を裏返した警察官と同じように弥生も声を上げそうになって、慌てて手で口を押さえる。
 他の警察官も声は上げなかったものの、目を丸く見開いていたのであった。

「そうだ、恋人だ。今後について話している内に少々意見の食い違いがあってな。痴話喧嘩に発展してしまった」
「痴話喧嘩があの騒動だというのか?」
「別に珍しくないだろう。先日もお偉いさんたちばかりが住む上町では、一反木綿の大旦那夫婦が大喧嘩して木綿製品の生産が止まっただろう。あれと同じだよ」

 弥生の場所からは背を向けている男の顔は見えないが、どんな顔をして弥生を恋人だと言っているのだろうか。
 弥生はそっと動くと、立て板に水のように話し続ける男の斜め後ろに移動した。

「一反木綿の大旦那夫婦は倅の婚姻について揉めたと聞いているが……」
「俺たちも同じだ。近々夫婦になるから式の打ち合わせをしていた。俺は神前式がいいと言ったんだが、彼女は長いこと現世に住んでいたからか西洋式がいいと言う。ウエディングドレスとやらを着てみたいらしい」
「だって憧れるじゃないですか!? 昔ながらの白無垢も良いですが、白以外の色もデザインも沢山あるウエディングドレスも! 現世(あっち)で沢山見ました!」

 男の話に合わせて弥生も話し出す。最初こそ弥生を見下ろす男の顔は驚いていたが、すぐに面白いと言いたげな笑みに変わる。
 弥生の肩を引き寄せながら、「さっきも言っただろう」と話し出す。

「ここには教会なんて数えるほどしか無いんだ。あやかしには神前式が定番だからな」
「でも数えられるくらいの教会はあるんですよね。だったら西洋式も出来ます!」

 警察官は弥生たちがまた痴話喧嘩を始めると思ったのか、わざとらしい咳払いをする。

「騒ぎにしたのは謝罪する。だが、彼女を連れて行くのは止めて欲しい。身内の問題は身内で解決する。当然だろう」
「……今回は注意だけで済まそう。だが次は容赦しないからな」
「肝に銘じよう」

 警察官は去り際に「そこの女鬼」と弥生に声を掛けてくる。

「現世にいたと言っていたな。あっちのあやかし事情は知らないが、ここでは女鬼は貴重だ。若い女鬼となれば、ほとんど残っていないからな」

 そうなのかと男を見れば、弥生を見ながら小さく頷かれる。

「場合によっては我々警察でも手が出せん。くれぐれも気をつけるんだな」

 警察官たちが去り、足音が遠ざかってしばらくすると、二人はどちらともなく笑ったのであった。

「一反木綿の大旦那夫婦が喧嘩して木綿製品の製造に影響が出たのは知っていたが、理由が婚姻とは知らなかった。危うくボロを出すところだった。お前のおかげで助かった」
「そんなことはありません。貴方の作り話が良かったから合わせやすかったんです」
「現世の話題を出したのも良かったのかもしれないな。何にしてもこんなに笑ったのはしばらくぶりだ。弥彦が亡くなって以来だからどれくらいだ?」
「私もこんなに笑ったのは久しぶりです。いつもあやかしから逃げ回るような生活をして、人間関係も上手くいかなくて、ずっと周囲とは距離を取っていたから……」
「元からあやかしが見える体質だったのか?」
「はい……」
「それは……苦労したな」

 労わってくれるとは思わず、弥生は男の顔を凝視してしまう。すると男はわずかに顔を赤くしながら「そういえば……」と何かを思い出す。

「まだ名前を名乗っていなかったな。俺の名前は(おぼろ)。朧月夜の朧だ」
「私は弥生と言います。三月の別名称とも言われている弥生です」
「今の時期に合う名前だな」
「ということは、ここも今は三月なんですか?」
「かくりよは現世の裏側にある。季節や時間は現世と全く一緒だ」

 朧はラムネ瓶を持つと近くの軒下で溜まっていた水溜まりの前で膝をつく。ラムネ瓶を軽く洗うと立ち上がったのであった。

「風邪を引く前にそろそろ帰るとするか」
「帰るって、どこに……?」
「決まっている。俺の家だ。行くあても無いだろう。鬼の力を取り出せるようになるまで、うちで暮らすといい」
「いいんですか……? 私、部屋をめちゃくちゃにしちゃいましたが……」
「こんなところで野宿をさせた方が何があるか分からない。無論、ただでは住まわせない。家のことを手伝ってもらう。鬼の力が無いと人間と同じく地道に片付けるしかないから不便だ……。力を貸して欲しい」
「……っ! はい! しっかり片付けます!」

 弥生は残っていたラムネを飲み干すと、空の瓶を持って朧の後を追いかけたのであった。