「おい! 人間……!」

 声を掛けられるも、弥生の身体の中で大きな炎と激しい竜巻が起こっているようで、話すことはおろか口を開くことさえ敵わない。
 男が弥生の両肩を掴むが、静電気が起きた時のように触れたところから小さな火花が散ってしまい、すぐに手を離してしまう。

「ふうぅ……」
 
 息をさえ難しくなり、胸元を押さえて身を小さくすると、弥生を中心にして風が発生した。
 風は勢いを増していき、やがて弥生の身体から力が抜けると、部屋を満たすような突風に変わったのであった。

「人間、早く鬼の力を止めるんだ!」
「どうやって!?」

 風に負けないように声を張り上げながら話している間も、突風は部屋の家具を倒し、置物を縦横無尽に飛ばす。飾っていた瀬戸物が壁に当たって割れると、破片が宙を舞ったのであった。

「ぐぅ……」

 飛び散った破片が男の頬を擦ると、浅く切れたのか少量の血が流れる。血は突風に混ざるとすぐに消えてしまったが、弥生にショックを与えるには充分であった。

(私が風鬼の力を止められないから……力を返せないからあの人が傷ついて……)

 弥生の目から涙が溢れると、今度は身体から青白い光が放たれる。荒れ狂う突風は雨のような水を纏い、暴風雨となったのであった。

「まさか、俺の鬼の力まで……!? 人間止めるんだ! そうしないとお前が鬼になってしまう!!」

 叫んだ男を阻むかのように、暴風雨は風向きを変えると男に狙いを定める。向かい風を受けた男はその場に立っていられなくなり、後ろに向かって飛んでいく。
 男はガラス窓に叩きつけられると、ガラスが割れる音に続いてその場に倒れてしまったのであった。

「きゃああ!」

 空気をつん裂くような弥生の悲鳴が響いたのか、ガラス窓が割れる音が大きかったのかは知らないが、暴風雨に紛れて外から話し声が聞こえてきたのであった。

「中で争っているのか!? 誰か警察を呼んでくれ!」
「母ちゃん。怖いよ……」
「この家は男が一人暮らしだったか? 様子を見に行くか……。誰か一緒に来てくれ」

 近所の人が集まって来たのか、やがて人の声と足音が多くなってくる。

(ここにいたら関係ない人まで巻き込んじゃう……)

 気を失った男の様子も心配だが、それよりもここに人が入って、暴風雨で二次災害が起きる方が怖かった。弥生は窓に近づくと、割れたガラスで手足を切りながら外に出る。

「いたっ!?」

 窓から地面に足をついた瞬間、外側に落ちていたガラス片が足の裏に刺さって声を上げる。

「誰だ!?」

 声が聞こえてきたので振り返ると、そこには着物姿の男性二人が恐怖で顔を引き攣らせていたのであった。

「お、鬼だ……! 女鬼がいるぞ!」
「違います! 私は人間で……」
「何でこんな下町に居るかは知らないがどっかに行け! 化け物が!」

 男の一人が近くに落ちていた石を拾って弥生に投げつける。石は弥生を包む緑色の光に触れると粉々に砕けたのであった。

「ひぃぃ……!?」
「待って下さい! 私は人間です! 中で倒れているこの人を助けて……!」

 弥生は呼び止めるが、男たちは背を向けて逃げて行く。弥生の足元に落ちていたガラス片が風で舞い上がると、男たちの背中に向かって弾丸のように飛んでいったのであった。

「わああ!」
「ひぃぃ!」

 ガラス片は男たちに当たらずに、そのまま真っ直ぐ飛んでいくと近くの木に刺さった。けれどもこれがきっかけとなって、近くで様子を見ていた人たちに異常が知られてしまった。泣き声や叫び声はますます大きくなり、パニックは広まったのであった。

(このままじゃ……)

 制御しきれていない鬼の力が暴れて、ますます無関係な人を傷つけてしまうかもしれない。
 弥生は近くの景石を足場にすると白い塀をよじ登る。そのまま這うようにして家を囲む塀の上を歩くと、敷地の外に出たのであった。

「誰か! 女鬼がいたぞ!」

 後ろから声が聞こえてくるが、弥生は振り返ることもなく一心不乱に走り出す。
 行くあてはどこにも無かった。助けを求めようにも、すれ違う人たちは誰もが奇妙なものを見るか、恐れるような顔をしていた。声を掛けるどころか、近づくことさえ憚られた。

「はあはあ……」

 人通りが少ない道で立ち止まると、弥生は膝に手をついて息を整える。すると空が急に暗くなったかと思うと、激しい雨と共に強風が起こったのであった。

「そんな……!」
 
 近くの家々の屋根が飛び、物が倒れる音が聞こえると、通りかかった人たちが悲鳴を上げながら近くの柱や塀に掴まっていた。

(ここじゃ駄目。関係ない人を巻き込んじゃう!)
 
 弥生が走り出すと、雨は止んで風が止まった。やはり暴風雨は弥生を中心にして発生するらしい。
 周囲に誰もいないところを探しながら、ただがむしゃらに足を動かし続けたのであった。

(どこか。どこでもいい。誰もいないところ、誰も傷つけないところに……!)

 しばらく走ると、弥生はどこかの石段の前にいた。見るからに古く今にも倒れてしまいそうな年季の入った鳥居から、しばらく誰も手入れをしていない場所だろうと考える。

「もしかして、ここなら……」

 弥生は意を決して鳥居を潜ると、石段を登ったのであった。