弥生があやかしの存在を知ったのは五歳の頃、祖母に言われた一言がきっかけだった。
『弥生ちゃんもあやかしが見えるのね』
その頃の弥生の側には色んなあやかしがいた。人の形をしているものも、そうじゃないものも。
弥生にとってはそれが当たり前であり、誰もがあやかしと共に生きているものだと思っていた。
やがて子供の頃はあやかしが見えていた人も、年を重ねて大人になるにつれてあやかしが見えなくなると知った。彼らを空想上の生き物と考えるようになり、忘れるようになった。
弥生は生まれながらに高い「霊力」があり、陰陽師や退魔師たちと同等の力を持っていた。
その為、弥生はいくつになってもあやかしの姿が見えた。そしてあやかしたちは弥生の祖母の周りにも集まっていた。
弥生の祖母もあやかしが見える人だった。弥生と同じようにあやかしが見えてしまうだけに苦労や危険な目に何度も遭ってきたらしい。それでも祖母はあやかしに優しかった。
人だけではなくあやかしにも好かれていた祖母だったが、弥生が中学生の時に亡くなってしまった。表向きは病死になっているが、本当は祖母が持つ高い霊力を狙ったあやかしに殺されたのだった。
祖母から聞いていたが、弥生たちの持つ霊力はあやかしたちにとって格好の餌となるらしい。霊力を喰らったあやかしの力は格段と上がり、高いあやかしの力――妖力を持つあやかしになる。
反対にあやかしが持つ妖力を喰らった人間は、そのあやかしの力を取り込んで、自らもあやかしと化すと言われていた。
祖母の周りには常に力の強いあやかしがいて祖母を守っていたが、そのあやかしがいない隙に祖母は殺されて霊力を奪われてしまった。それ以来、弥生はあやかしと関わるのが怖くなってしまった。
――いつの日か、自分も祖母と同じようにあやかしに殺されてしまうのではないか、と。
その懸念が的中するかのように、祖母が亡くなると、弥生はあやかしたちから命を狙われるようになった。
そして、弥生はあやかしと距離を置くようになったのだった。
「んんっ……」
鼻をつく畳のいぐさの匂いで弥生はそっと目を開ける。床に直接寝た時のように身体中が痛くて重い。
「ここは……」
ゆっくりと身体を起こすと、弥生はどこか薄暗い部屋に倒れていた。床が畳敷きなところからここはどこかの和室らしい。身体を見ると、トラックに轢かれたはずの身体は何も変わりがなく、掌を握って開いてみてもいつも通り動いた。
トラックに轢かれたのは夢で、誰かがここに連れて来てくれたのだろうか。
その時、視界の左端にほのかな緑色の発光が映った。部屋を見渡して光源を探していると、横長の机の上に蓋がされたガラス瓶が置かれているのに気づいた。そのガラス瓶の中には緑色に光る球体が入っていたのだった。
弥生が机に近づいていくと、球体は光を強めたようだった。それまでは何度も明滅していたが、弥生がガラス瓶を手に取った時にはずっと光り続けていた。
「明かりじゃないし、蛍かな。綺麗……」
そう呟きながら軽くガラス瓶を振った時だった。外から襖が開けられたかと思うと、「誰だ!」と男の声が聞こえてきたのだった。
「お前……人間の霊か。どこから入ってきたんだ?」
逆光で男の顔は見えないが、声からして若い男のようだった。男は弥生が持っていたガラス瓶に気付くと慌てた様子でやって来る。そしてガラス瓶を掴む弥生の腕を掴んだのだった。
「それをどうするつもりだ!? 早く返せ!」
「返します! 返すから離して……!」
男に力強く引っ張られた時、弥生の手からガラス瓶が滑り落ちた。ガラス瓶はテーブルに当たると、砕けたのであった。
「何をするんだ!」
「す、すみません……」
男は怒鳴ると割れたガラス瓶の破片を集め始める。大きな欠片を避けると、中から先程の緑色の球体が出て来たのであった。
「良かった。無事だったか……」
男が安堵している間も球体は籠から出た鳥のように室内を飛び回る。天井を旋回したかと思うと、弥生に向かって飛んできたのであった。
「きゃあ!」
「くっ!」
男が手を伸ばして球体を捕まえようとするも球体の方が速かった。瞬きする間に球体は弥生の中に入るとそのまま消えたのであった。
緑光が消えた直後、弥生の身体に変化が起こった。
「あっ……」
体温が急上昇してマグマのように煮えたぎる。風邪を引いた時とは比べものにならない熱と身体中の痛みに、弥生は歯を食いしばりながらその場に膝をついたのだった。
「おい、しっかりしろ!」
男に肩を掴まれて声を掛けられるも、弥生は声を出すことはおろか指一本動かすのも出来なかった。ただ額から脂汗を流して苦悶の表情を浮かべて耐えるしかなかったのだった。
「くぅぅっ……」
やがて身体を襲う熱と痛みが絶頂に達すると、何かがぶつりと切れる音が聞こえてくる。その直後に身体から力が抜けていくと、声を出せぬままその場で気絶したのであった。
夢の中で弥生は誰かに頭を撫でられていた。冷たい手が気持ちよくて、そのまま身を委ねていると、男の声が聞こえてきた。
『……を頼んだ。やよちゃん』
夢現の中でそんな声が聞こえてきたかと、弥生の周りで突風が吹いて火照っていた身体からすうっと熱が引いていった。
夏の日のお風呂上りに冷風に当たった時と同じように体温が下がっていく快感。心なしか身体も軽くなって気持ちいい。
『おやすみ……』
その声にもう一度弥生は意識を手放すと、ゆっくりと微睡んだのであった――。
『弥生ちゃんもあやかしが見えるのね』
その頃の弥生の側には色んなあやかしがいた。人の形をしているものも、そうじゃないものも。
弥生にとってはそれが当たり前であり、誰もがあやかしと共に生きているものだと思っていた。
やがて子供の頃はあやかしが見えていた人も、年を重ねて大人になるにつれてあやかしが見えなくなると知った。彼らを空想上の生き物と考えるようになり、忘れるようになった。
弥生は生まれながらに高い「霊力」があり、陰陽師や退魔師たちと同等の力を持っていた。
その為、弥生はいくつになってもあやかしの姿が見えた。そしてあやかしたちは弥生の祖母の周りにも集まっていた。
弥生の祖母もあやかしが見える人だった。弥生と同じようにあやかしが見えてしまうだけに苦労や危険な目に何度も遭ってきたらしい。それでも祖母はあやかしに優しかった。
人だけではなくあやかしにも好かれていた祖母だったが、弥生が中学生の時に亡くなってしまった。表向きは病死になっているが、本当は祖母が持つ高い霊力を狙ったあやかしに殺されたのだった。
祖母から聞いていたが、弥生たちの持つ霊力はあやかしたちにとって格好の餌となるらしい。霊力を喰らったあやかしの力は格段と上がり、高いあやかしの力――妖力を持つあやかしになる。
反対にあやかしが持つ妖力を喰らった人間は、そのあやかしの力を取り込んで、自らもあやかしと化すと言われていた。
祖母の周りには常に力の強いあやかしがいて祖母を守っていたが、そのあやかしがいない隙に祖母は殺されて霊力を奪われてしまった。それ以来、弥生はあやかしと関わるのが怖くなってしまった。
――いつの日か、自分も祖母と同じようにあやかしに殺されてしまうのではないか、と。
その懸念が的中するかのように、祖母が亡くなると、弥生はあやかしたちから命を狙われるようになった。
そして、弥生はあやかしと距離を置くようになったのだった。
「んんっ……」
鼻をつく畳のいぐさの匂いで弥生はそっと目を開ける。床に直接寝た時のように身体中が痛くて重い。
「ここは……」
ゆっくりと身体を起こすと、弥生はどこか薄暗い部屋に倒れていた。床が畳敷きなところからここはどこかの和室らしい。身体を見ると、トラックに轢かれたはずの身体は何も変わりがなく、掌を握って開いてみてもいつも通り動いた。
トラックに轢かれたのは夢で、誰かがここに連れて来てくれたのだろうか。
その時、視界の左端にほのかな緑色の発光が映った。部屋を見渡して光源を探していると、横長の机の上に蓋がされたガラス瓶が置かれているのに気づいた。そのガラス瓶の中には緑色に光る球体が入っていたのだった。
弥生が机に近づいていくと、球体は光を強めたようだった。それまでは何度も明滅していたが、弥生がガラス瓶を手に取った時にはずっと光り続けていた。
「明かりじゃないし、蛍かな。綺麗……」
そう呟きながら軽くガラス瓶を振った時だった。外から襖が開けられたかと思うと、「誰だ!」と男の声が聞こえてきたのだった。
「お前……人間の霊か。どこから入ってきたんだ?」
逆光で男の顔は見えないが、声からして若い男のようだった。男は弥生が持っていたガラス瓶に気付くと慌てた様子でやって来る。そしてガラス瓶を掴む弥生の腕を掴んだのだった。
「それをどうするつもりだ!? 早く返せ!」
「返します! 返すから離して……!」
男に力強く引っ張られた時、弥生の手からガラス瓶が滑り落ちた。ガラス瓶はテーブルに当たると、砕けたのであった。
「何をするんだ!」
「す、すみません……」
男は怒鳴ると割れたガラス瓶の破片を集め始める。大きな欠片を避けると、中から先程の緑色の球体が出て来たのであった。
「良かった。無事だったか……」
男が安堵している間も球体は籠から出た鳥のように室内を飛び回る。天井を旋回したかと思うと、弥生に向かって飛んできたのであった。
「きゃあ!」
「くっ!」
男が手を伸ばして球体を捕まえようとするも球体の方が速かった。瞬きする間に球体は弥生の中に入るとそのまま消えたのであった。
緑光が消えた直後、弥生の身体に変化が起こった。
「あっ……」
体温が急上昇してマグマのように煮えたぎる。風邪を引いた時とは比べものにならない熱と身体中の痛みに、弥生は歯を食いしばりながらその場に膝をついたのだった。
「おい、しっかりしろ!」
男に肩を掴まれて声を掛けられるも、弥生は声を出すことはおろか指一本動かすのも出来なかった。ただ額から脂汗を流して苦悶の表情を浮かべて耐えるしかなかったのだった。
「くぅぅっ……」
やがて身体を襲う熱と痛みが絶頂に達すると、何かがぶつりと切れる音が聞こえてくる。その直後に身体から力が抜けていくと、声を出せぬままその場で気絶したのであった。
夢の中で弥生は誰かに頭を撫でられていた。冷たい手が気持ちよくて、そのまま身を委ねていると、男の声が聞こえてきた。
『……を頼んだ。やよちゃん』
夢現の中でそんな声が聞こえてきたかと、弥生の周りで突風が吹いて火照っていた身体からすうっと熱が引いていった。
夏の日のお風呂上りに冷風に当たった時と同じように体温が下がっていく快感。心なしか身体も軽くなって気持ちいい。
『おやすみ……』
その声にもう一度弥生は意識を手放すと、ゆっくりと微睡んだのであった――。