「待って下さい! 連れて行くなら私を連れて行って下さい!」
「そこまでして離れるのが嫌なのか。鬼の娘」
「人間は私です。その人から鬼の力を奪いました。地獄に連れて行くなら私を連れて行ってください!」
「それは誠か、鬼の娘。嘘をついたらただでは済まさん。この場で切り捨ててくれる」

 雲雀がサーベルの柄に手を掛けた時、朧が「待て!」と声を張り上げる。

「彼女は風鬼だ。あんたたちもさっき調べただろう。連れて行くなら俺を連れて行け!」
「朧さん!」
「女鬼として生きていけばどこに行っても歓迎される。上町に住む鬼たちなら尚更な。そいつらの元に行け。お前の役目は俺と弥彦の力を次の代に受け継ぐことだ。この世界に鬼が存在していたという確かな証を残せ」
「何で簡単に諦めてしまうんですか!? 私には命を粗末にするなって言ったのに!」

 鬼の力を暴走させて落ちて来た屋根瓦から庇いながら朧はそう言った。その言葉に弥生は救われた。それなのに言った本人が何もせずに諦めてしまうのか。弥生に生きろと言った当人が。

「朧さんも一緒に生きて下さい。私たちは将来を誓い合った恋人……でしょう?」
「馬鹿! 今はそんな話をするな!」

 昨日使った作り話をすると、雲雀は眉を上げて弥生の元にやって来る。

「今の話は本当か?」
「本当です。私たちは恋人です。私が人間で彼が持っていた風鬼の力を奪いました。水鬼と火鬼の力もです」
「いいや。違う! 彼女は風鬼だ。現世生まれの現世育ちの鬼だ。俺を連れて行け」
「千鳥は鬼の娘から人間の臭いがすると言っていた。もし鬼の娘がこの男から鬼の力を奪った人間なら、俺たちは鬼の力をあるべき場所に返して、娘を地獄に連れて行かねばならん」
「どうやって証明すればいいんですか?」
「ここで鬼の力を使え。風鬼なら旋風くらい起こせるだろう。力を使えなければ人間と見なす。鬼の力を回収して地獄に送ってやる」
「……分かりました」

 弥生は両手の掌を上に向けて旋風をイメージする。このやり方が正しいのか分からないが、今は朧を助けたい想いで頭が一杯になっていた。

(お願いします。力を貸して下さい。弥彦さん)

 そう願うが、昨日の暴風雨が頭を過ぎって手が震えてしまう。
 また力を暴走させたらどうしよう。獄卒だけではなく朧まで傷つけたら?
 弥生の中にいる弥彦の大切な人を、これ以上傷つけたくなかった。恐怖で膝まで震えているような気がして、吐き気も込み上げてくる。
 目を瞑っていると、急に弥生の中から何かが溢れるような感覚がした。この感覚には覚えがあった。昨日の風雨が起こった時と同じであった。

(駄目! 暴れないで、昨日みたいな嵐は止めて……!)

 掌を引っ込めようとすると、獄卒たちの間から声が上がった。弥生が目を開けると、目前には朧がいたのであった。

「大丈夫だ。俺が側についている。肩の力を抜いて息を吸え」

 朧は弥生の両掌を包むように掴む。その瞬間、弥生の中で溢れそうになっていたものが朧に吸い込まれていったのだった。

「朧さん、これ……」
「俺の水鬼の力だ。弥生、手の向きが違う。掌は外側に向けろ。押し出すように」

 朧は掴んだ弥生の両掌を外側に向けると、弥生の後ろに回る。身体をぴったりとくっつけると、耳元でそっと話し出す。

「俺が手を離したら、前に押し出すように力を放つんだ。相手は獄卒だ。多少旋風が当たっても死にはしない」
「上手くいきますか……?」
「弥彦の力はお前を悪いようにはしない。それに失敗しても俺がついている。安心しろ」

 朧の言葉が胸を打つ。弥生は目尻に涙を溜めると深く頷く。

「三つ数えたら手を離すぞ。……一、二、三」

 朧が手を離した瞬間、弥生は掌に溜まった力を前に放つ。力に引き摺られて前に飛んで行きそうになるも、朧が抱きしめて引き戻してくれる。
 小動物サイズの小さな旋風は雲雀の真横を通り過ぎると、左右に避ける獄卒たちの間を通って隣家の生垣を穿ったのであった。
 しばらく呆然としていた弥生だったが、千鳥たち獄卒が騒ぐ声で我に返る。

「朧さん、やりましたよ! 旋風を起こせました! ウサギぐらいの大きさでしたが力を使えたんです!」

 後ろを振り返った弥生だったが、何故か朧は弥生を見たまま固まっていた。試しに自分の頭を触ると角が出ていたからだろうか。もう一度弥生が名前を呼ぶと、朧は弥生を抱きしめたまま、肩に顔を埋めたのであった。

「朧さん……?」

 弥生が戸惑っていると、雲雀が賞賛するように両手を叩きながらやって来る。

「見事な旋風だったな」
「いえ……」
「今回はこれで手を引くが、しばらく監視は続けさせてもらう。怪しい動きをしたら即刻地獄に連行させてもらう」

 それだけ言うと、雲雀は振り返らずに帰って行く。他の獄卒たちも無言で雲雀の後に続くが、千鳥だけは「またね〜。鬼のお嬢さん!」と両手を振ったのだった。

 獄卒たちがいなくなっても朧が腕を離す気配が無かったので、弥生はもう一度振り返る。すると、ようやく顔を上げた朧が「弥生」と真剣な声色で言ったのだった。

「結婚しよう」

 理解が及ばなかった弥生は何度か瞬きを繰り返した後、恐る恐る尋ねる。

「どうしてですか? さっきの獄卒たちが怪しんでいるからですか?」
「それもあるが、もっとお前を知りたくなった。弥彦とそっくりで、でも弥彦とは違うお前が……」

 朧が角を触ったのか、くすぐったくて弥生は声を上げてしまう。
 
「小さな旋風を放ったお前の姿を見ていたら、初めて鬼の力を使った弥彦を思い出した。そうしたら急にお前を帰して一人になるのが怖くなった……」
「朧さん……」
「弥彦の力は返さなくていい。風鬼として俺と共に生きて欲しい。これからはどんなあやかしが襲ってきてもお前を守ろう。ここをお前の安住の地として欲しい」

 あやかしから逃げ回っていた弥生がずっと欲しかった言葉。それが朧の口から次々と出てくる。
 自分を信じて、受け入れられた喜びに胸が熱くなる。心を満たしてくれる。
 
「私……」
 
 朧は身体を離すと弥生の両肩を掴む。お互いに見つめ合い、朧が身をかがめて顔を近づけた時、弥生の後ろから声を掛けられたのであった。

「お取り込み中にごめんなさい。うちの生垣に穴が開いているのだけど、何かご存知……?」

 後ろを見ると割烹着姿の年配の女性が申し訳なさそうにしており、その後ろでは大柄な年配の男が二人を睨み付けていたのであった。

「すみません! これは私が……」
「女房と夫婦喧嘩をしていたら穴を開けてしまった。すまない。修理費用はこちらで負担しよう」

 朧がさも当然のように「女房」と言ったので弥生が目を見開いて固まっていると、年配の女性が「まあ!」と顔を赤く染める。

「いつの間にご結婚されていたの? 昨日も騒ぎがあったと思ったら女性が出入りしていたと聞いて、もしかしてと思っていたのよ!」
「昨日は迷惑を掛けた。改めてお詫びを……」
「いいのよ。夫婦喧嘩なんてよくあることよ! そちらの女性は見かけない顔だけど、ここに住み始めたばかり? 困ったことがあったら何でも言ってね」
「ありがとうございます……」

 まるで近所の世話焼きおばさんのように押しが強い隣家の女性に朧と出会った経緯や喧嘩の原因を聞かれている間、朧は強面の男と生垣の修理について話しているようだった。
 朧の話が長引きそうな様子を見ると、弥生は女性にお願いしたのであった。

「お言葉に甘えて、一つ教えていただきたいことがあるんですが――」