次の日の朝、台所で朝食の用意をしていると手拭いで顔を拭きながら朧が顔を出したのであった。

「どこからか美味そうな匂いがすると思ったらお前か……」
「おはようございます。朧さん」

 昔ながらの鉄製の雪平鍋に高野豆腐とわかめを入れ、味噌を溶かしながら弥生は振り向く。朧は弥生の洋服姿に何か言いたげな顔をしていたが、タオルを首に掛けながら近づいてきたのであった。

「朝飯を作っているのか」
「はい。勝手に食材や場所をお借りしてすみません」
「それはいい。料理が出来るのか意外だな」
「意外って……こう見えても、現世(あっち)ではファミレスや居酒屋でバイトしていたこともあるんです!」

 あやかしが原因でせっかく就職しても一つのところで長期間働けない弥生は、大学を卒業してから仕事を転々としていた。生前最後に働いていたコンビニエンスストアのアルバイトに限らず、事務職や販売職、営業職、塾講師のアルバイトやファミリーレストラン、居酒屋のアルバイトも経験していた。
 弥生が頬を膨らませて拗ねていると、朧は「そういうつもりで言ったんじゃないんだ」と苦笑した。

「冷蔵庫にほとんど何も入っていなかっただろう。そんな限られた食材の中から料理を作れたのが意外でな」

 台所の卓上には二人分の茶碗や器が並べているが、既に完成した料理も並べていた。ひじきの炒め煮と鯖の焼き料理を作ったが、朧が鯖料理に興味を示したので「醤油と七味、チーズをかけてオーブントースターで焼いたんです」と弥生は説明する。
 
「野菜や卵などの生鮮食品は無かったのですが、お米や保存食の備蓄はありました。味噌やチーズ、高野豆腐にかつお節、あと乾燥わかめや豆類もあったので」
「煮物や鯖はどうした?」
「缶詰がありました。私も食べたことがあるので現世のものでしょうか?」
「それなら弥彦が買い溜めしたものだな。あいつは現世にしかない珍しいものが好きだった。仕事で現世に行く度に現世のものを買って来てはここに置いていた」
「弥彦さんの仕事って……?」
「なんでも屋をしていたよ。荷運びから人探し、現世に行くあやかしの護衛まで何でもな。仕事なら現世とかくりよを自由に行き来が出来るから」

 現世とかくりよを行き来するには二つの世界を繋ぐ門を守護する門番から許可を得る必要がある。その際に現世に行く理由を聞かれるが、仕事や現世に住むあやかしに会いに行くといった理由なら許可は出やすいという。

「もしかして冷蔵庫やオーブントースター、炊飯器やホームベーカリー、炭酸水メーカーまで揃っているのも弥彦さんが現世から持ち込んだものですか?」
「冷蔵庫やオーブントースター、炊飯器はかくりよでも広く普及している。シャワーや洗濯機、照明器具やテレビもな。そのほーむべーかりーやらたんさんすいめーかーとやらは、弥彦が現世から買ってきたものだ。あいつはよく使っていたが、俺は使い方すらさっぱり分からん」
「ホームベーカリーも炭酸水メーカーも使い方を知っています。ただ材料や道具が必要なので、かくりよで手に入るのかどうか……」

 話している間に炊飯器が炊き上がったのか、音を鳴らして知らせてくれる。料理を運んでくれるという朧に完成した分を居間に運んでもらうと、弥生は炊き立てのご飯と完成した高野豆腐とわかめの味噌汁をよそい、朧の後に続いたのであった。

「邪魔をする!」

 朝食を食べ始めてすぐ呼び鈴が鳴ったので弥生たちが見に行くと、群青色の軍服を着た男たちが入って来た。歴史の教科書で見たような軍服と軍帽に黒の軍靴、腰にはサーベルらしき湾曲した刀を下げており、直感的に弥生は朧の後ろに隠れたのであった。

「獄卒が朝から何の用事だ?」
「この家に人間の魂がいると聞いて連行しに来た。その場を動かないでもらおうか。千鳥(ちどり)
「うぃ~す」

 千鳥と呼ばれた獄卒は最初に朧を、次いで弥生を見て来る。金色に目を光らせて舐めるように頭から爪先までじっくり眺めてくる視線から逃れようと、弥生は明後日の方向を向いて目を逸らし続ける。やがて千鳥は意味ありげに口元に弧を描くと戻って行ったのだった。

「どうだった?」
「女の方は人間臭いが微かな鬼の力を感じた。だけど男の方は鬼の匂いがするが、鬼の力を感じなかった」
「なら男の方か……。捕縛しろ!」

 男の指示で後ろに控えていた獄卒たちが朧を囲むと腕を拘束する。弥生は千鳥によって朧から引き離されたのであった。

「離してください! 朧さんは人間ではありません! 人間は私です……!」
「駄目だよ。鬼のお嬢さん。人間はかくりよで生きられないんだ。オレたちが黄泉の国に連れて行く。二度とこっちに来ないように徹底的に痛めつけるんだ」
「痛めつけるんですか!? どうして……!?」
「人間の中にはね。地獄に落ちるのが嫌で、かくりよのあやかしに紛れ込んで暮らそうとする者がいる。特に輪廻転生もさせられないような大悪党に限って。そいつらが再び脱走しないように痛めつけて罰を与えるのがオレたち獄卒の仕事なの。そこの雲雀(ひばり)隊長もね」
「千鳥、いつまで無駄話をしている。対象は捕まえた。すぐに地獄に連れて行くぞ」
「うぃす。じゃあね、鬼のお嬢さん。今度一緒にデートでもしない? 下町に新しいミルクホールが出来てさ……」
「千鳥! 軟派してないで早く来い!!」

 朧を連行するように言った雲雀と呼ばれた獄卒に、千鳥は襟元を引き摺られるように連れて行かれる。弥生も草履を履くと、慌てて後を追いかけたのだった。