顔を跳ね上げた私に、ルキウスが双眸を優しく緩める。

「昨夜のことは、偶然だったんでしょ? マリエッタの反応を見ていればわかるよ。けれどね、マリエッタ。たとえ"偶然"じゃなくても、僕に謝る必要なんてないからね」

「そ、れは……どう、いう」

 ルキウスは湖へと視線を投げて、

「そのままの意味だよ。僕はマリエッタから、婚約の自由を奪っているのだもの。だからせめて、キミの行動は自由にさせてあげたいんだよね。だからマリエッタは、謝らなくていい。たとえキミがどう考え、動こうと、僕に罪悪感なんて一切感じる必要はないよ」

「…………」

 わかっている。
 ルキウスは婚約の破棄を望んでいる私への負い目から、精一杯の誠意を持って言葉にしているのだと。

 優しい優しい彼は昔から今も変わらず、私を大好きでいてくれるから。
 いつだって自分の痛みよりも、私の幸福を、優先してくれるから。
 全部、わかっている。だけど。だけども、だ。

(これではあまりにも、一方的すぎるのでは?)

 先ほどまでとはうって変わって、胸中がもやもやとした陰りに埋め尽くされていく。

「……ルキウス様は」

 落とした言葉に、遠かったルキウスの瞳が「ん?」と私を向く。

「ルキウス様は、全て許してくださるとおっしゃるのですね。たとえ私がアベル様と秘密裏に会っていようと、たとえ私が、婚約者であるルキウス様を差し置いて、アベル様との仲を深めていようと」

「……まあ、そうなるかな。マリエッタがそれを望むのなら、僕に止める権利はないよ」

「訊ねているのは、権利の有無ではありませんわ!」

 私は思わず声を荒げ、

「勝手に心移りした私が言えた立場ではありませんが、それではなぜ、ルキウス様は私との婚約を必死に守っているのです? 私を好いてくださっているからではありませんの? 私なら、ルキウス様のように寛容ではいられません。婚約者という立場である間は、たとえ想い人が他にあろうと、"婚約者"への礼儀を欠いてはならないと思いますの」

 どうして私はこんなにも、腹を立てているのだろう。
 アベル様に恋をしたのは私なのに。ルキウスを傷つけているのは、私なのに。

(でも、止まらない)